平成23年2月 関越自動車道で、群馬県へ来ました。

■ 妙義神社
所在地:群馬県富岡市妙義町妙義6番地
 妙義神社は、妙義山の主峰、白雲山の中腹にあります。
創建は宣化天皇2年(537)で、日本武尊をはじめ名だたる神々が祀られています。
参道には、しだれ桜の木がありました。
総門  国指定重要文化財
鮮やかな朱色の総門です。切妻造りの八脚門。
波己曽社(はこそしゃ)  県指定重要文化財
 本殿・幣殿・拝殿からなり、三百数十年前に建造されたと推定される。
本社(本殿・弊殿・拝殿)は、国指定重要文化財で、上毛の日光といわれるほどですが、、平成19年9月の台風9号の大雨により本殿の裏山が崩れ、治山工事、文化財の修復工事を行っているため、見学できませんでした。

■ 貫前神社(ぬきさきじんじゃ)
 貫前神社は、群馬県富岡市にある上野一宮です。『延喜式神名帳』では『名神大社』とされてるそうです。社伝では創建は安閑天皇元年(531)とされます。
御祭神は「経津主神」(ふつぬしのかみ)と「姫大神」(ひめおおかみ)です。
経津主神(ふつぬしのかみ) 経津主神は『日本書紀』などの国譲りの場面で神名がみえる、葦原中国(あしはらのなかつくに:日本の異称)平定に功績があったとされています。
比売大神(ひめおおかみ)
比売大神は正確な神名も祀られた由緒も伝わっていませんが、一説には綾女庄(当地の古い呼称)の養蚕機織の神と云われています。
 現在の社殿は3代将軍徳川家光公の命によって建てられました。 (江戸時代初期の漆塗りで極彩色の社殿は国の重要文化財に指定されています。)
貫前神社は、総門をくぐると、石段があり、下りたところに社殿があります。「下り宮」といわれる特殊な構造です。変わっています。
本殿・拝殿・楼門は国指定重要文化財です。
本殿・拝殿・楼門は寛永12年(1635)3代将軍徳川家光の再建、5代将軍綱吉による大がかりな修理を経て今日に至ります。
本殿は、ちょうど修復中でした。

富岡製糸場を見学する前に、門の前にある、「荻野屋」に入りました。
 「荻野屋」が製造・販売する駅弁。峠の釜めしを食べました。
 峠の釜めしは、益子焼の釜に入った薄い醤油味の出汁による炊き込みご飯です。久ぶりに食べました。懐かしい。

■ 富岡製糸場
 富岡製糸場は、明治5年(1872)に富岡の地に日本で最初の官営の富岡製糸場です。
 江戸時代末期に鎖国政策を変えた日本は、外国と貿易を始めましたが、最大の輸出品だった生糸は輸出の急増によって生産が追いつかなくなってしまいました。その結果、質の悪い生糸が大量につくられ、日本の生糸の評判が下がってしまいました。
 明治維新後、政府は政府は生糸の品質改善・生産向上と、技術指導者育成の見本を示すため、 最新式製糸器械を備えた模範工場をつくることにしました。
 明治維新直後、政府により日本の近代国家への礎石として建設された富岡製糸工場は、当時世界最大規模を誇っていました。

 現在も建物は、ほぼ創業当初の頃のままの状態で保存されています。
明治政府が造った官営工場の中で、ほぼ完全な形で残っているのは富岡製糸場だけです。
受付
3号館です。

東繭倉庫

東繭倉庫内で、繭から生糸を取る作業の実演を行っていました。見学者が作業を体験できます。
西繭倉庫
 建物の骨組みは木で、壁の部分はレンガを積み並べた木骨レンガ造りです。
鏑川(かぶらがわ)
群馬県を流れる利根川水系の一級河川です。

■ 楽山園  国指定文化財 名勝  指定 平成12年3月30日
  所在地:群馬県甘楽町小幡648-2、650-1ほか
 群馬県内では唯一残っている大名庭園として貴重な遺跡です。
 楽山園は、織田氏によって造られたもので、「智者ハ水ヲ楽シミ、仁者ハ山ヲ楽シム」という『論語』の故事から名づけられたと言われています。
 江戸時代初期の池泉回遊様式です。
 広い昆明池を掘り、いろは48石を配し、築山にあずまやを建て、熊倉山・紅葉山の借景(周辺の景色をたくみに利用する)は、当時の大名の趣向をよく表しています。
整備事業が、平成14年度から10カ年計画で開始され、江戸時代往時姿の復元にむけ、現在工事進行中です。
面白いブロンズ像がありました。