平成23年10月 新潟県への旅・中越(二日目)

 種月寺
住所:新潟県新潟市西蒲区石瀬
 福地山 種月寺は、道元の法流に繋がる南英謙宗が、文安3(1446)年に、越後の守護上杉房朝の援助により創建した寺院です。
 その後、この地の豪族小国氏の外護を受けて栄え、常に多くの雲水達が修行に励んでいました。
 現在の本堂は、出雲崎の大工・小黒甚七が棟梁となって、元禄12年(1699)に建立された大規模なものです。屋根は寄棟造りです。国重要文化財に指定されています。
 かつては越後における曹洞宗の四大道場(耕雲寺・雲洞庵・慈光寺・種月寺)の一つに数えられました。
 茅葺きの大屋根です。偶然、参拝したのですが、こういう田舎に、国重要文化財の建築があるとは驚きでした。よく、これまで火災に遭わなかったものです。お坊様達が大切にしてきたのでしょう。

 天神山城跡
種月寺は、天神山城跡がある山の麓にあります。
山道を車で登り、天神山城跡の登山口まできました。ずっとアスファルト道路が続いていました。
天神山城跡の登山口
平成21年大河ドラマ 天地人の名残の幟旗が立っていました。
直江兼続実弟 大国実頼のキャラクター
「みらいくん」

天地人効果は、まだ続いているのでしょうか。
登山口先の路肩に空スペースがあるので、車を停め、登山道を登って行きます。
最初は、苦しい登りが続きます。
道の途中に、土塁・石垣らしきものがありました。
瓢箪池(ひょうたんいけ)
 城にとって重要な水源です。昔から、真夏の渇水時期にも枯れたことがないと伝えられています。上流が小さな丸池で、下流が大きめの池になっているその形から名づけられたそうです。
 天然記念物のモリアオガエルやサンショウウオが生息しているそうです。
大きな堀切があり、ロープを頼りに、下って登ります。
本丸にやってきました。
約20分ほどで登ってきました。
天神山城跡 本丸
本丸の前面は、木が生えておらず、越後の平野が見渡せます。ちょっと、もやっていました。

 蔵王堂城跡
新潟市を後にし、長岡市の蔵王堂城跡へやってきました。
蔵王堂城跡には、金峰神社があります。
大きな鳥居があります。
金峰神社
 現在、城跡には、金峯神社、毘沙門堂、安禅寺等があり、本丸土塁や堀の一部が残っています。
 蔵王堂城は、南北朝時代、蔵王権現を奉る蔵王堂に中条氏が本陣を構えたことが始まりと伝えられています。 南北朝期に蔵王権現を祀る蔵王堂に越後北朝勢力の中条氏が本陣を構え、正平7(1352)年に南朝方の風間信昭に攻められています。
本丸の堀の一部が残っています。
堀直竒銅像
 1616(元和2)年、堀直竒が蔵王堂城主として戻り、蔵王堂藩が復活します。
毘沙門堂
毘沙門天立像(長岡市指定文化財)が祀られています。
 直寄は蔵王堂城が信濃川に隣接し災害の恐れがあったことから、新城(長岡城)の築城に取り掛かり、次の牧野忠成の代に完成し蔵王堂城は破却されました。
 また、この蔵王堂は天領(幕府の直轄地)となり、この地に蔵王代官所が設けられました。

 節黒城跡
所在地:新潟県十日町市上野

 長岡市を後にし、十日町市の節黒城跡へやってきました。
 節黒城は、南北朝時代の正平7年(1352年)武蔵国(埼玉県)小手指が原の戦いに敗れた新田義宗が越後に退いたときに築城したと伝えられています。
 現存するものは昭和48年の遺構発掘調査の結果、室町時代の末期(1505年頃)に上野氏が改修構築したものとみられています。
正面にダムがあります。節黒城跡は、ダムの左手の山の上に位置しています。よく見ると模擬天守のようなものが見えます。
 城跡へ一番近いルートで行った(ナビが指定した)のですが、麓近くで、道路が災害のため崩れ、全面通行止めになっていました。
 仕方なく、邪魔にならないよう車を路肩に駐車し、バリケードを乗り越え、歩いていきました。
途中、キャンプ場がり、バーベキューをやっているようでした。別なエスケープルートがあったです。しかしもう引き返すこともできず、登り続けました。
 えんえん40分近く歩いて登っていきました。きつかったです。
 やっと頂上近くに来ました。道はアスファルト舗装から、砂利道に変わります。
節黒城跡の模擬天守
城があった当時は、天守閣などあろうはずがありませんが。
模擬天守があるところから、さらに登った一番高所に、節黒城跡の碑があります。
けっこう眺めがよかったです。

 大井田城跡
所在地:十日町市中条
 大井田城は、南北朝時代に越後南朝勢力の中心であった大井田氏の本拠といわれています。大井田城は、鎌倉時代の末頃から戦国時代まで使用されたものとみられます。
 大井田氏は新田氏の一族里見氏の流れを汲む一族で、南北朝時代は南朝方として活躍した。 
 道路に標識があり、そこを曲がり、ずっとアスファルト舗装された道を上り詰めると大井田城跡へ行き着きます。
 道は、城跡で、行き止まりになっていますので、路肩に車を停めました。
大井田城跡の碑
ここから、さらに主郭へ歩いて登っていきます。それほど時間はかかりませんでした。
 山頂の主郭は、東側が一段高く、大井田氏を顕彰した石碑が建てられています。
 また周囲には大井田氏・新田家主従の南朝方の諸将の忠魂碑が建てられています。

これで、一泊二日の新潟県の旅を終わり、関越自動車道に向かい、家路に着きました。