平成24年1月 長野県への日帰り旅

 風間神社
 南北朝時代越後新田義貞軍の巨頭として活躍した風間信濃守は直峰城(上越市安塚区)を拠点としました。風間氏は信濃国水内郡内社風間神社の出身で、越後に進出してきたと思われます。
 長野市の風間神社へ来ました。高速道路を降りると、雪がちらついて、道路際にも除雪された雪がある所があります。雪国へ来たなと思いました。
  昨年、新潟県へ行き、風間氏に興味があり来てみました。
 風間神社は、現在は、周囲を住宅街に囲まれています。拝殿・本殿は比較的大きくて立派だと感じました。

 柏王神社
住所:千曲市大字戸倉字古城815
柏王神社、柏王寺とも、山のきわにあります。
 柏王(かしおう)というのは信濃宮と呼ばれた後醍醐天皇の皇子宗良親王のことで、南朝軍を率いて越後・信濃を転戦したが、この地で病にかかり鬢(びん=頭の左右側面の髪)を供物に神に祈ったところ全快し、その鬢を埋めた塚があります。
薬師堂
 柏王神社の隣にある柏岩寺は首から腰(脊椎関係)に聞くとされています。薬師如来が鎮座しております。
 薬師堂には、菊の御紋がありました。
柏岩寺

 佐良志奈神社
住所:長野県千曲市大字若宮2−イ
道路脇には雪が積もっています。
佐良志奈神社の鳥居
佐良志奈神社には、正平年中、宗良親王(後醍醐天皇の皇子)の御所であったということです。
 本殿後方に宝筐印塔があり、宗良親王(後醍醐天皇の皇子)に従って戦に出た人々が、死ぬ前に自分たちの墓として立てた逆修塚であるといわれています。
 境内には、一面に雪が降り積もっていました。寒いです。
  歩いて、八王子山にあるという八王子社へ向かいます。
  途中から雪道になり、おっかなびっくり歩きました。
八王子社
 佐良志奈神社の摂社八王子社(祭神国之狭槌命)は、今も八王子山に現存しています。
千曲川が流れています。
八王子社の途中からの展望です。千曲川の向こうに、反対側の山並みが見えます。

 祢津城跡
住所:長野県東御市祢津
祢津城跡へやって来ました。祢津城は、祢津氏の城でした。
南北朝時代、祢津掃部助、祢津越中守が新田義貞に従い活躍しました。次に観応の掾乱では、祢津小次郎(行貞)、祢津孫次郎宗直が、足利直義の下で戦い、乱後は足利義詮に仕えています。
車で登山道直下まで来れるようです。広めの駐車場がありました。ここまでの道路は舗装され狭いですが、途中、すれ違いできるよう広めの道幅の所もありました。
ここから祢津城跡への登山道を登っていきます。
大きな葉の木です。木の名前がわからないのですが、柏の木なのでしょうか。
枯れ葉が道に積もっています。
約5分ほどで、祢津城跡の郭に着きます。独立峰なので、周囲の山々がよく見えます。木々が枯れていて眺望がいいです。
本郭に着きました。標高830mほどあります。桜の木が植えられています。
堀切へ降り、登って二の郭へ行きます。
本郭から二の郭へ来ました。
また、本郭へ戻りました。
 眼下に上信越自動車道が見えます。
 対面には、蓼科高原や信州の山並みが見えます。条件がよければ、富士山が見えそうです。

 望月城跡
住所:長野県佐久市望月
 嘉吉元(1441)年 望月光経は南朝尹良親王の皇子良王治良を庇護して信濃守護職小笠原氏と対峙しています。
車で山を登っていくと、望月城跡の標識が見えました。反対側には駐車場もありました。
 車を停め、土の道を歩いて行きます。
 城跡は、畑と雑木林が広がっていました。
 二の丸への登り口です。木の階段がしつらえていました。なかなか親切です。
二の丸
本丸の標識
本丸跡
佐久市内(旧・望月町)の町並みが木々の間によく見えます。
城の麓を中山道が通っています。望月城は中山道をやくする城でした。
 これで観光を終え、佐久市内へ戻って、佐久ICから上信越自動車道に乗り家路へ向かいました。午後8時前には家に着きました。