平成24年5月 福井県への旅・勝山市

平成24年のゴールデンウィーク後半、福井県へ向け旅に出ました。
5月2日、仕事が終わってから仮眠をとり、雨の中、PM9時すぎに家を出発。
常磐道、北関東道、上信越道と走るごとに、雨が強くなってきました。
長野県に入ってから、徐々に雨足が弱くなってきました。
しかし、だんだん眠気がでてきたので、新潟県妙高市に入り、新井PAで車を停め、仮眠しました。
2時間ちょっと眠り、寒くて目が覚めました。
 夜暗くて判らなかったのですが、妙高の廻りの山々は未だ雪が残っています。

顔を洗い、また走り始め、上越JCTから北陸道に入りました。北陸道は、上越から富山にかけてトンネルが多いので、びっくり。
福井県に入り、丸岡ICで高速を降り、勝山市へ向かいました。

 大師山 清大寺(越前大仏)

清大寺は、勝山市の街のはずれにあります。
遠くから、大仏殿、五重塔を見ると、ここは奈良かと見まがうばかりです。
門前に、商店街らしき街がつくられています。
 GWなので、お祭りのようなイベントがありました。
地元の特産品を販売しています。商店街は、シャッターを閉めた店が多いです。そもそも、通常の時期に商売で開けているのか疑問です。
地元のソバを打って、茹で、売っていました。
 大門
清大寺に参拝料は、五百円です。
清大寺は、妙心寺派のお寺です。
中門
大門、中門、大仏殿の規模は、さながら、奈良の東大寺のようです。
しかし、建築は鉄筋コンクリート造りでしょう。
大仏殿
 大仏殿の前から中門を振り返りました。
 大仏本尊(昆盧舎那仏)
奈良の大仏より高さがあるそうです。
ご尊顔は、日本風ではなく、中国風です。
大仏本尊は、仏教伝来のルーツである中国河南省洛陽市郊外の龍門石窟の中にある龍門棒先寺座像をモデルに造られています。
脇侍
文殊菩薩、大迦葉
脇侍の仏様も大きいです。背の高さは、大仏様と同じぐらいでしょうか。
 脇侍
阿難陀、普賢菩薩、
三壁面には1,281体の中国の大理石による大小の諸仏が安置されています。
大仏様と、大仏殿の大きさには驚かされます。奈良の大仏殿と同じぐらいでしょうか。
 五重塔も日本一大きいそうです。エレベーターで4層まで上がれ、階段を上り、最上階の5層まで行けます。
塔も鉄筋コンクリート造りです。
 五重塔の5層から見た勝山市街
よくぞこれだけの規模のお寺、伽藍、大仏を造ったものです。
個人で、多田清という方が造ったそうです。

多田清は、タクシー会社で大実業家となりました。多田は晩年になり、「今の自分があるのは世間の人々に迷惑をかけ借金をしてきたから」と考え、慈善事業や寄付に励みました。そのなかで一番大きな事業がこの清大寺の建立でした。総工費380億円です。
さながら、福井県の東大寺のようです。

 平泉寺 白山神社

越前大仏がある勝山市内の平泉寺 白山神社へ来ました。
この場所は、もう車を乗り入れてはいけない場所なのですが、東京・埼玉のナンバーの車が乗り入れていました。
手前に大きな駐車場があるのですが。?
白山神社・平泉寺を創建した泰澄(たいちょう)大師の御廟が白山神社の入口にあります。(養老年間(西暦720年頃)の創建です。)
石畳の参道
 参道の石畳は、その昔修行僧たちが九頭竜川の河原から手で運び上げられたといわれ、「日本の道百選」に選ばれています。いかにも古い石畳です。
オダマキの花
参道脇に植木が飾られていました。地元の方の手によるものです。
御手洗池(みたらしいけ)
池中の影向石に白山大神が御出現されたたそうです。
影向石
石段をずっと歩いてきて、白山神社の拝殿に近づいてきました。
直射日光が当たらない林の中は涼しく、歩いても汗はかかなかったです。
平泉寺 白山神社の境内は巨大な杉が立ち並び、幽玄な雰囲気です。
拝殿の周辺は、うっそうとした杉の大木と苔が有名です。苔が地面一面に生えて、苔寺のようです。
白山神社は養老年間(西暦720年頃)に、泰澄大師創建した古社で平泉寺はその別当寺です。室町時代には9万石の寺領と48社・36堂・6千坊を数え、政治的・兵力的に黄金時代を迎えましたが、その後一向一揆により壊滅しました。
 江戸時代にやや復興しましたが、明治時代の神仏分離により白山神社だけが残り、現在に至っています。
拝殿
安政6(1859)年の造営です。天正2(1574)年、兵家にかかって消失する以前は、正面45間という我国最大の拝殿でした。拝殿の左右に残る礎石が往時の雄大さを物語っています。
御本社
御祭神 イザナミノミコト
社殿は、寛政7(1795)年、越前藩主 松平重富公による再建で、総ケヤキの入母屋造です。
御本社から、さらに歩いて三之宮へ向かいました。
三之宮
御祭神 たくはたちぢみひめのみこと
楠木正成供養塔
 楠木正成の甥の恵秀律師)が平泉寺の僧だった関係で、正成が湊川の戦いで討ち死にした後、三の宮の横に供養塔が建てられました。
国名勝 旧玄成院庭園
 玄成院は、江戸時代の平泉寺の中心的な坊院で、今は白山神社の社務所となっています。庭園は、室町幕府管領 細川高国がつくったと伝えられています。細川高国は、作庭の名人だったのですね。
庭近くには柵で近づけず、少し遠くから鑑賞しなければなりません。
遠山石が庭園の高い場所にあります。
東尋坊跡
平泉寺の衆徒は強力で知られていましたが、その中でもひときわ悪名高かった僧が「東尋坊」でした。衆徒たちも彼には大いに手を焼き、寺侍の「真柄覚念(まがらかくねん)」に東尋坊の山からの追放を依頼します。覚念は東尋坊を三国見物に誘い、景色の良いところでで酒盛りを始めました。東尋坊が酔いつぶれたのを見計らって、覚念は東尋坊を海中に突き落としてしまいました。そこがは現在でも有名な景勝地「東尋坊」です。
蓮如の腰掛け石です。蓮如も白山寺へ来たのですね。
白山神社入口。ここから、昔からの石畳が続いています。