宮崎県への旅3日目

 早朝まだ真っ暗なうちに延岡市内のホテルを出発、高千穂にほど近い五ケ瀬町へ向かいました。
 五ケ瀬町に予定していたよりも早く着いてしまい、まだ暗いので、車のなかで夜明けを待ちました。やっと明るくなり行動を開始しました。
 古戸野神社

所在地:五ケ瀬町五ヶ瀬町桑野内横通
 社伝によれば、南朝方の芝原又三郎入道性虎が押方村芝原から桑野内横通に移った時、芝原に祀っていた熊野三社権現をこの地に勧請したのが初めといわれています。
高い杉木立に囲まれ、荘厳な雰囲気がありました。

 樺木岳城
古戸野神社からさらに林道を登り、樺木岳城跡へと来ました。城入り口への標識があります。
ここで車を停車し、歩いていきます。
登り道を4、5分歩くと、城跡へ着きます。
コンクリート舗装の道から、土の道に変わります。
地面が白っぽくなっています。
この日の朝は寒いと思ったら、霜が降りていました。
 樺木岳城は三田井氏48塁の一つで、芝原性虎が築いた南北朝期の山城です。
 本丸跡は、下草・雑木が切り払われて、きれいになっていました。
朝日が昇ってきました。
盆地のなかは雲海に覆われています。

 性虎八幡宮
所在地:宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町桑野内4668
 道路際に性虎八幡宮の標識があったのですが、その先から判らなくなりました。
 車で道を行きすぎてしまい、戻ってきて、歩いて探して入口を見つけ、山に入っていくと社殿がありました。
社殿の裏手に、芝原性虎と一族の墓があります。
とりわけ大きな五輪塔が芝原性虎の墓と言われています。

 浄専寺
 浄専寺は浄土真宗西本願寺派で、元和元(1615)年の開山です。
 浄専寺のシダレザクラは幹周り約3m、高さ約15m、樹齢250年〜300年とも言わるれ、宮崎県 天然記念物にも指定(昭40.8.17)されています。
 このシダレザクラは、浄専寺の第九代住職が、西本願寺参りの帰りに京都祇園のから苗木を持ち帰ったものです。

 芝原又三郎入道性虎の墓
芝原神社から300〜400mほど離れているでしょうか。芝原東地区の外れにあります。
芝原又三郎入道性虎は三田井氏の一族で南北朝の乱の際、一族を率いて南朝方に与し、活躍した人物。芝原又三郎誠忠碑と、小さな墓標が一基建てられています。

 芝原神社
 この芝原地区の中心地にある芝原神社へ来ました。  芝原神社の創建については不明ですが、古くは熊野三社権現と称されていました。1522年(大永2)、三田井右京大夫右武が再建し、芝原神社と改称されたものです。    
 芝原神社社殿の前に、イチョウの葉が一面に落ちていてきれいでした。
 芝原地区は、江戸時代から明治にかけては物資の移入地で、熊本方面から高千穂への商品が通っていました。
 まだ、霧がただよっています。
 幻想的な風景です。

 高千穂神社
 高千穂町へ来ました。
 高千穂神社は、垂仁天皇時代に創建されました。平安朝期(937-946))、高千穂太郎大神政次(豊後国からの三田井家養子)のとき十社大明神と称されるようになり高千穂八十八社の総杜となりました。
 1873年(明治6)に三田井神社と改称、1895年(明治28)高千穂神社と改められました。神社本殿と所蔵品の鉄造狛犬一対は国の重要文化財に指定されています。
秩父杉
源頼朝の代参畠山重忠手植えの秩父杉がそびえています。樹齢800年、樹高55m、幹回り7.5mです。

 天岩戸神社 東本宮
 天岩戸神社へ来ました。
 いつ天岩戸神社が創建されたかは不詳です。記紀には天照大神(アマテラスオオミカミ)は弟の素戔嗚命(スサノオノミコト)を避け、暫く天岩戸に籠もられた事が記してあり、その天岩戸を祀る神社と伝えられています。
 古くからその神域を御神体として祀られてきた社殿は御霊代鎮祭(みたましろちんさい)の本社(東本宮)と天岩戸直拝の拝殿(西本宮)と岩戸川の渓谷を挟み相対しています。
 東本宮は観光客もいなくて、ひっそりとしています。

 天岩戸神社 西本宮
西本宮は、観光バスが何台も来ていたり、普通乗用車も停まっていて、観光地という感じです。
 天岩戸神社 西本宮には、参拝客が絶えず訪れていました。

 仲山城跡
所在地:宮崎県西臼杵郡高千穂町大字向山
 同じ高千穂町にある、仲山城跡へ来ました。高千穂の盆地を見下ろす山の中腹、高台に位置しています。
 高千穂は隣国豊後より10世紀の半ばに、高千穂太郎政次が高千穂に入り、以来高千穂郷の領主となりました。14世紀に入り、本家は高千穂氏から三田井氏になりました。
 戦国時代末期、豊臣秀吉の九州平定により、高千穂郷は延岡城主、高橋元種の支配地になり、三田井氏は抵抗しますが、天正19年(1591)9月、仲山城は落城し、六百数十年続いた三田井氏は滅亡しました。  郷内大半を一望できるこの城址の周辺には、領主館や一族の重臣の館跡があり、宿千軒、宿の谷などの地名が残っている。
仲山城跡は、現在、キャンプ場と、農耕地(田)となっています。
これで、宮崎県の観光を終了し、宮崎空港へ向かいました。
五ヶ瀬川の清流
  まだ、日があるうちに宮崎空港へ着くことができました。 
宮崎は、まだ暖かいのか、花が咲いています。
3日間の宮崎県及び鹿児島県観光が終了し、羽田空港へと出発しました。


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