平成26年3月16日 伊勢二日目

■ 伊勢平氏発祥伝説地 忠盛塚

 津城跡へ向かっていると、たまたま伊勢平氏発祥伝説地を目にし、見学することにしました。
 数年前、大河ドラマで、平清盛が放映されていました。
平清盛の父忠盛が生まれた所といわれ、伊勢平氏発祥地の伝説地として県指定史跡となっています。

平氏は、桓武天皇の曾孫高望王を祖とします。その子国香、孫貞盛・将門のころには東国に土着し勢力を張っていました。
しかし、平将門の乱、平忠常の乱以後東国は源氏の地盤となり、貞盛の子維衡の時に伊勢・伊賀を根拠地とするようになり、寛弘3年(1006)維衡は伊勢守に任ぜられています。

維衡の曾孫正盛は院政と結び、白河法皇の寵を得て中央政界に進出し、平氏興隆の道を開きます。その子忠盛は正四位下但馬守に進み武士として最初に内の昇殿を許され、平氏繁栄の基礎をつくりました。
忠盛の胞衣塚といわれています。


■ 津城跡
 津城は、別名・安濃津城(あのつじょう)とも呼ばれます。津は、平安時代より伊勢国政治経済の中心地で、鎌倉時代は工藤氏を祖とする長野氏が支配していました。
 織田信長の伊勢侵攻により。永禄12年(1569年)織田信包が入城は城郭を拡充し、石垣を普請し堀を巡らせて、本丸・二の丸・三の丸を整備、5重天守と小天守を完成させました。
 城主は、織田氏から、富田氏と変わり、関ヶ原の戦いの関連で、西軍に攻められ、城内の建造物の大半を焼失しました。(安濃津城の戦い) 
 慶長13年(1608年)、代わって伊予今治藩より藤堂高虎入城し、城の大改修に着手し、城下町も整備しました。
 以後、明治維新まで藤堂氏の居城となりました。 最終的には、藤堂氏は32万3,000石の大大名となりましたた。
 明治4年(1871年)廃藩置県により廃城となり、以後、建造物は破却されました。  
りっぱな石垣です。
昭和33年(1958年)に復元された隅櫓です。
津城跡は、現在、お城公園として整備されています。
城跡中央の広場に、藤堂高虎の銅像があります。
城跡に、庭園がありました。
宇和島城、今治城などを築城した藤堂高虎だけあって、立派な石垣です。

 午後2時ごろ、三重県の観光を終え、岐路に向かいます。
 東名自動車道経由で帰ったのですが、都夫良野トンネル付近で事故渋滞、波多野中井〜横浜町田間で自然渋滞があり、東名は混雑していました。