平成27年 佐賀県・福岡県の旅 一日目午後


 小郡市内から、佐賀県みやき町へと来ました。
 宮山城
 所在地:佐賀県三養基郡みやき町原古賀字松谷
 宮山城は綾部城とも呼ばれますが、一般的には、この辺り一帯の城郭群を指しているとされます。
 築城年代は定かでありませんが、平治元年(1159年)頃に藤原通良によって築かれたといわれます。 鎌倉時代に通良の子通俊が綾部荘を賜わり綾部氏を名乗って居城としました。
 その後は九州探題方の拠点として利用され、永正年間(1504年〜1521年)には九州探題渋川氏を追って大宰少弐武藤氏の居城となりました。しかし大宰少弐武藤氏は元亀2年(1571年)滅亡しました。
綾部八幡神社から遊歩道があります。
神社には、駐車場が無いようだったので、少し離れた場所で、邪魔にならない道路わきに車を停めてきました。
城は、綾部八幡神社の西側の山にあり、頂部から南に削平地を数段構えています。
 遊歩道を登りつめました。山頂部はあまり広くありません。
眺めがいいです。
 綾部八幡神社の鳥居脇に、綾部名物の「ぼたもち」のお店が2軒ありました。
 綾部の「ぼたもち」は、鎌倉時代に源頼朝に従った綾部の地頭が奥州征伐の凱旋の際に 、兵士にふるまった祝いの餅が起源とされています。
 私は甘いものが好きなので、せっかくだから一軒のお店に入って、ぼたもちをいただきました。やわらかい一口大の餅に、たっぷりとこし餡がまぶしてあります。程よい甘さで、美味しかったです。      
この後、歩いて少弐山城へ行こうとしましたが、アクセスする山道があまりにも荒れていて、登るのを断念し、引き返しました。
 高柳大塚古墳
 みやき町から吉野ヶ里町へ向かっている際、途中にありました。お天気は、晴れとなっています。
 6世紀後半から末頃の築造と推測される前方後円墳の古墳です。
 円墳の直径約15m、高さ9.9mある前方部の短い前方後円墳です。
石室の南側に羨道があり、副室を有する横穴式石室で巨石を用いた珍しい特徴を持っており、平成4年に佐賀県史跡に指定されました。
 東妙寺
 所在地:佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手村1728
 吉野ヶ里町の東妙寺に来ました。
 東妙寺は、鎌倉時代の元寇に際し宇多天皇の勅願で、南都西大寺の座主 唯円上人が創建したとされています。
 平安時代に作られた県内最古の仏像・聖観音立像や、鎌倉時代の作とされる釈迦如来座像を安置しています。
  南北朝時代には、南朝の懐良親王が本陣としました。
東妙寺の南側脇を長崎本線の線路が走っています。
 姉川城跡
 姉川城跡は、神埼市神埼町姉川にあります。
 南北朝期にこの地に土着した、菊池氏の分族を称する姉川氏が構えた城とされ、戦国末期までその居城となっていました。
 1570〜80年代頃、龍造寺隆信が姉川氏を服属させた後は、龍造寺氏の神埼郡支配の要衝とされました。
 天正15年(1587)の豊臣秀吉による九州統一後は、廃城となったとされます。
遺跡規模は東西最長600m、南北最長800mに及び、その中核となる姉川城本体が遺跡全体の東半域を占めています。
城の中心部は平面台形状の半町ほどの曲輪(くるわ)で、内部に大型建物や門を備えていたことが、過去の試掘調査で判明しています。
 その周囲には小規模な曲輪群や家臣屋敷跡、寺社跡などが付属し、さらにその西側外縁の中地江川沿いに、一般住人や下級武士層の小規模な屋敷群が並んでたとされます。
各空間は、大型の濠で細分され浮島状をなしており、中世以来の水辺の村落景観が現在もなお保たれています。
 直鳥城跡
 所在地:佐賀県神埼市千代田町直鳥
 中世の環濠集落の構造を持つ城館跡です。南北朝時代に犬塚氏の居城として築かれたといわれ、縦横に巡る堀と大小の島で構成されています。佐賀平野独特の農村景観として整備が行われました。
直鳥城跡は、南流する城原川と国道264号が交わる直鳥橋の南西200mの右岸にある平城(水城)で、規模は東西330m、南北330mです。
弥生時代、有明海岸が後退した頃からこの地に人々が定住を始め、中世にはほぼ現在に近い形の集落が形成されました。初めは小規模でしたが、16世紀に犬塚氏の支配下に入ってから、除々に要塞的な環濠集落として発展を遂げていったと考えられています。
直鳥城の周囲に発生していた「城下町」に相当する集落は、城跡を取り込んで環濠集落の郷村として継続し、江戸時代を通し現在まで残っています。
直鳥城は、この地方で独自に発達を遂げた中世の低平地城館の典型であり、貢重な文化財として保護されています。現在は、直鳥クリーク公園として整備されています。

平成27年 佐賀県・福岡県の旅 二日目