第一番 杉本寺 (杉本観音)

寺院名  大蔵山 杉本寺
(だいぞうざん すぎもとでら)
通 称  杉本観音
宗 旨  天台宗
開 基  行基菩薩
本 尊  十一面観世音菩薩
  真 言   おんまか きゃろにきゃ そわか
  ご詠歌   頼みある しるべなりけり 杉本の 誓ひは末の 世にもかはらじ 

 札所データ   
住 所  神奈川県鎌倉市二階堂903
電 話  0467(22)3463
交 通(電車)  JR鎌倉駅から京浜急行バス太刀洗行きなどで10分
 杉本観音下車
交 通(車)  横浜横須賀道路 朝比奈ICから約7分
駐車場  無し
拝観料  200円
地 図 mapion

 歴 史
  • 天平6(734)年に行基菩薩が自ら刻んだ十一面観音を安置したのが、寺の始まりという。
  • 仁寿元(851)年に、慈覚大師が十一面観音を安置。
  • 寛和2(986)年に、恵心僧都が花山法王の名を受けて、十一面観音を安置。
  • これら三体の十一面観音が、ともに本尊として納められる、「三尊同殿」(さんぞんどうでん)の形式をとっています。この三尊は、拝観料を払えば、若干距離が離れますが、拝観できます。
  • 杉本観音の名は、文治5(1189)年に寺が火災に逢った際、三体の本尊が自ら境内にある杉の木のもとに難を避けたという縁起による。
  • また、この寺に信仰心の無い者が、寺の前を乗馬したまま過ぎると、落馬するという言い伝えがあった。
  • 鎌倉幕府を開いた源頼朝の帰依も厚く、文治5(1189)年に消失した寺の復興に尽くし、前立十一面観音像を納めた。

 訪 問 記
平成20年8月31日(日) 晴れ

坂東三十三カ所観音霊場 打ち始めです。

8月最後の日、am5:00前に、家を車で出発しました。
高速が混むのがいやなので、早朝出発です。

茨城の天気は、雨です。
天気予報では、今日の神奈川は、曇りのち晴れだったので、出かけることにします。

東京の首都高に入っても、小雨模様です。
高速は、空いています。
横浜に入ると、雨が上がってきました。

磯子ICで高速を降りて、朝マックします。
日が差してきて、空に太陽がでてきそうな気配です。

大船から、北鎌倉へ入ってきました。
鎌倉の知っている道にでてきました。見かけた風景です。

鎌倉へ、車で来るのは初めてです。
私が鎌倉へ来る時は、いつも電車です。もう、車で来ることはないでしょう。

さすがに、日曜日の朝7時すぎ、鎌倉の道は空いています。
杉本寺がある二階堂に着きました。
浄妙寺の前の駐車場は、8時前のためか、閉まっています。

杉本寺には、駐車場がありません。
杉本寺近くのタイムズ駐車場に車を停めます。
そこから杉本寺へ歩きました。歩いて5分ほどです。

 杉本寺

8時ちょっと前に、杉本寺の階段下に到着。
ここで、巡礼用の白衣を着用します。にわか巡礼ですね。
ちょっと、はずかしいです。

階段を登っていきます。幸い、私が一番乗りでした。
仁王門
正面の階段は、昔の階段で、現在通行できません。
左側に迂回して登る階段があります。
この階段は、昔からたくさんの人が歩いてきたため、すりへっていて危険なので、現在は、登れません。
苔むした階段で、古風な風情があります。
杉本寺本堂

境内には、十一面杉本観音のノボリ旗がたくさん立っています。
杉本寺は、屋根が茅葺きの、ちょっと田舎っぽいけど、古風な寺です。
もう、本堂脇のさるすべりの花は、終わっていました。
杉本寺の奥の山には、かつて杉本城跡がありました。

南北朝時代で、足利一族の斯波家長が城を守っていましたが、奥州から南朝救援の為に鎌倉に攻め入った北畠顕家の大軍に攻め落とされています。
杉本寺の境内には、その時の犠牲者を弔ったものと思われる、たくさんの五輪塔群があります。
六地蔵
本堂の前で、お経の般若心経と、十句観音経を唱えます。
あまり練習してなくて、お経を唱えるのが下手です。恥ずかしいですね。聞いている人がいなくてよかった。
次に、お賽銭をあげ、お祈りしました。
そして、最後に、打ち始めの御朱印をいただきました。
一番目のお寺だけあって、杉本寺には、御朱印帳、白衣など、巡礼用品が売られています。
杉本寺には、十一面観音が三尊いらっしゃいます。
年代は違いますが、行基、慈寛大師、恵心僧都の三人が刻んだ十一面観音です。
これを三尊同殿というそうです。

杉本寺は、内陣にまで入ることができ、若干距離がありますが、三尊の十一面観音を参拝することができます。
この日早朝は、雨だったのですが、日が差して、晴れてきました。
その分、暑くなって来ます。