坂東第九番札所 慈光寺

寺院名 都幾山 慈光寺
(ときさん じこうじ)
宗  派 天台宗
開  基 慈光老翁
ご本尊 十一面千手千眼観世音菩薩
真  言 おん ばざら たらま きりく
ご詠歌 聞くからに 大慈大悲の 慈光寺 誓いも共に 深きいわどの

 札所データ 
住所 埼玉県比企郡都幾川村西平386
電話 0493(67)0040
交通(電車) JR八高線明覚より大野行きバス15分 西平下車35分
交通(車) 関越自動車道東松山IC30分
駐車場 あり
拝観料 宝物殿 300円
地図サイト mapion

 歴 史
  • 天武天皇の673年、慈光翁が僧慈訓(じきん)に命じて千手観音を刻ませ、本尊として祀ったのが創始となる。
  • 鑑真和上の高弟・道忠が釈迦如来を安置して全山の堂宇を整えた。
  • 慈覚大師が訪れて密教の道場とした。その時植えたのが、本坊前に立つ多羅葉樹(たらようじゅ) である。
  • 平安時代にの初期には、清和天皇が勅願寺に定め、「天台別院一乗法華院」と称した。
  • 源頼朝も文治5(1189)年、奥州藤原氏征討のため、愛染明王を奉納して成功を祈らせ、寺領1200町歩を寄進した。
  • 宝物館に展示されている、国宝の法華経一品経は、文永7(1270)年、後鳥羽天皇、藤原兼実ら32名が書写して奉納したもので、厳島神社の「平家納経」などと並ぶ日本三大装飾経のひとつとされている。
  • 上野国の阿部小水麿(あべのおみずまろ)が貞観13(871)年に納めた大般若経600巻のうち、152巻が現存、国重要文化財に指定されている。

 訪 問 記
平成20年9月14日(土) 晴れ

朝は涼しいが、日中は盛夏よりはましだが、今日も暑かったです。

早朝、4時すぎに、車を家を出発。
常磐道〜外環〜関越道と乗り継ぎ、鶴ヶ島ICで高速を下ります。

時間があるので、マクドナルドへ入り朝食。
鶴ヶ島から、ときがわ町の慈光寺を目指します。
40分ぐらいかかりました。


 慈光寺

慈光寺は、山の上の方にあります。自分の足で登るのはたいへんでしょう。
第9番 慈光寺は、秩父山塊の中腹にあるお寺です。

お城の区分で、平城、平山城、山城の区分がありますが、この慈光寺は、山寺です。
延々と山道を登った所にあります。
車なので、汗もかかずに着きますが。

参道の途中に立っている板碑。

九基の板碑が立ち、古いものは弘安7年(1284)年の建立である。
昭和60年に消失した釈迦堂の跡

元禄8年(1695)年に建立された釈迦堂があった。

開山塔

建物は覆堂で、中に、慈光寺の開山 道忠の木造宝塔を納めている。

宝塔は室町時代の作で、木造宝塔としては全国でも双璧の傑作といわれ、国重要文化財に指定されている。
慈光寺の入り口

石碑の右手に階段があり登っていける。
車は車道をそのまま走っていくと駐車場がある。
銅鐘

寛元3年(1245)年鋳造で、国指定重要文化財。
栄西の弟子、栄朝が願主として奉納したもの。
AM7:00過ぎに駐車場に着きました。

納経所が開くのは、午前8時からなので、取りあえず先に、参拝をすませます。
空海筆の般若心経を、石に彫ったもの。
多羅葉樹(たらようじゅ)

モチノキ科の常緑喬木。原産はインド。葉は楕円形。
慈光寺の本堂前に立っています。
慈覚大師円仁のお手植と伝えられ、樹齢、千百余年。
葉の表面硬く、傷をつけると深く傷痕が残るので、インドでは、文字や写経の材料、紙代わりに使用していました。

実は、これが、「葉書」の語源であると言われています。
葉を持ち帰る時は、維持管理費として、1枚100円取られます。
ちゃっかりしています。
本堂前にネコがいました。
近づいたら、逃げてしまいました。
写経堂。
観音堂は、本堂より高い所にあり、階段を登っていきます。
慈光寺 観音堂

江戸時代後期に再建されたもの。
本尊の千手観音像は、一本の手を後ろに向けた珍しい形で、母が子供を背負う姿を示しているという。

見事な装飾がされています。
風神でしょうか。
左甚五郎作といわれる、「夜荒らしの名馬」
外陣の天井に吊ってあります。
観音堂は、外陣が開けっぴろげ。
残念ながら、内陣に入ることは、できません。
ご本尊を拝めません。