坂東第十三番札所 浅草寺

寺院名 金龍山 浅草寺 
(きんりゅうざん せんそうじ)
通  称 浅草観音
宗  派 聖観音宗大本山
開  基 勝海上人
ご本尊 聖観世音菩薩像
真 言  オン アロリキャ ソワカ
ご詠歌  ふかきとが今より後はよもあらじ つみあさくさにまいる身なれば
御利益  家内安全・商売繁盛・心願成就・身体健全・
      厄除け・交通安全とオールマイテイ

 札所データ 
住所 東京都台東区浅草2−3−1
電話 03-3842-0181
交通(電車) 地下鉄銀座線 都営地下鉄浅草線 「浅草」徒歩5分
交通(車)
駐車場 雷門にぶつかる道路の地下駐車場が便利 雷門前に入口あり
拝観料 無料
地図サイト mapion

 歴 史
  • 浅草寺は,東京で最古の寺である。
  • 寺伝では飛鳥時代の推古天皇の628年3月18日,隅田川で漁をしていた檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)兄弟の網に,観音像がかかった。
    郷司の土師中知(はじのなかとも)はこの像を観世音菩薩と知って深く帰依し,出家して自邸を寺としたのが浅草寺の始まりである。
  • 大化元(645)年には,勝海上人が現在地に観音堂を建立。夢のお告げによって本尊を秘仏と定め,以来この戒めは今も守られている。
  • 平安初期には,比叡山から慈覚大師が来山。秘仏に似せて前立の本尊を刻み,大いに寺運を興して浅草寺中興開山の祖となった。
  • 治承4(1180)年には源頼朝が寺領を寄進。のち頼朝は鶴岡八幡宮造営のため浅草から宮大工を招くが,この記録が「吾妻鑑」にあって,文献に浅草の地名を見る最初となる。
  • 徳川家康が江戸に入府した天正18(1590)年には,浅草寺が徳川家の祈願所になった。その後,幕府の祈願所が上野寛永寺に移るとかえって庶民の信仰の対象として繁栄した。
  • 浅草寺の伽藍は,昭和20年3月10日の空襲で大半を焼失した。本堂も五重塔もこのとき焼けたが,観音堂を昭和33年,五重塔を同48年にそれぞれ再建した。

 訪 問 記
平成20年8月31日(日) 晴れ
お寺への交通手段は、茨城から、電車で行きました。

前夜来の台風は関東の東の海上へ抜けました。
午前中は、少し雨が降っていましたが、お昼から天気が回復しそうです。

それならと、電車を乗り継ぎ、第13番 浅草寺(せんそうじ)へ行きました。

 浅草寺
地下鉄銀座線の駅から地上にあがると、少し蒸し暑いです。
晴れてきています。

雷門前から、人がわんさかいます。
五重塔は戦後の再建ですが、姿がいいです。
ほれぼれします。
記念写真を撮影している人が多いですね。

浅草寺は、いつ来ても、たくさん人がいます。
外人さんも多いです。
都心から近く、古いお寺を見学でき便利なのでしょう。
浅草寺は、昔から庶民の信仰の対象でした。
寺の始まりは、関東でも古い寺に入るでしょう。大化の改新の前まで遡ります。
ここ浅草寺で、巡礼姿の白装束をしている人なんて、一人もいません。
もちろん、私も、今日は白衣を持ってきていません。
ここでは、恥ずかしくて着れないです。

入れ替わり立ち替わりたくさんの方がお参りにきていました。
観光客がほとんど、巡礼者はほとんどいないでしょう。
五重塔は、いいランドマークになっています。

浅草寺を後にして、第14番の弘明寺(ぐみょうじ)に向かいました。