坂東第二十一番札所 日輪寺

寺院名 八溝山日輪寺
宗  派 天台宗
開  基 役ノ行者 673年
ご本尊 十一面観世音菩薩
真  言 おんまか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌 迷ふ身が 今は八溝へ
 詣りきて 仏のひかり 山もかがやく

 札所データ 
住所 茨城県久慈郡大子町上野宮字真名板倉2134
交通(車) 常磐道那珂IC2時間
東北道西那須塩原IC1時間15分
駐車場 駐車場30台
拝観料 1月2月閉山
地図サイト mapion

 歴 史
  • 八溝の地名は、日本武尊が東征した際、「この先は闇ぞ」といわれたことからついたという説がある。
  • 寺伝によれば、天武天皇の世の673年、役ノ行者の創建という。
  • 大同2(807)年に弘法大師がこの地を訪れたとき、狩衣を着た大己貴神と事代主神の2神が現れたため、大師が2体の十一面観音として刻み、日輪・月輪の2寺を建てて安置し、観音霊場としたという。
  • 仁寿3(853)年には慈覚大師が来錫し、以来、天台宗の寺となった。
  • 鎌倉時代には源頼朝が寺領を寄せ、室町時代には間口十六間、総ケヤキ造りの大伽藍となり、多くの堂宇が立ち並ぶ大寺として栄えたという。その後は、修験の道場として、山伏の修行の地となった。
  • 江戸時代初期に2度の火災に遭い、水戸光圀公によって再建されたが、天保3(1832)年には水戸藩の廃仏運動に遭遇。明治13(1880)年の火災で堂宇を全焼するなど、いくたびもの難にさらされた。
  • 大正3(1914)年に仮堂が建てられ、現在の観音堂が完成したのは昭和48年のことである。

 訪 問 記
平成20年9月23日(火) 晴れ

 日輪寺
手前の林道は、通行不能になっていました。
仕方なく、来た道をそのまま先へ進みます。
やっと、八溝山へ至る道への標識がでてきます。
この鳥居をくぐり、道を登っていきます。
舗装された林道です。
どんどん標高が高くなります。
対面の山々がよく見えます。
重畳とした山が連なっています。
八溝山頂には、豊作祈願の神である八溝嶺神社(やみぞみねじんじゃ)が鎮座しています。
模擬天守のような八溝山展望台です。
たしか有料だったと思います。
遠く栃木県方面の山々です。
日輪寺は、茨城・福島・栃木の三県にまたがる八溝山脈の主峰、標高1020mの頂上にある八溝嶺神社から300mほど下った所にあります。対向車が来たらすれ違いができそうもない道幅です。
八溝山 日輪寺の駐車場に着きました。
冬が雪が積もり、お寺は閉鎖されるようです。
観音様の彫刻がありました。
明治13年の火災で惜しくも堂宇を全焼。
大正4年仮堂が建てられ、昭和49年、五間四面の立派な観音堂が巡礼者の浄財によって完成しました。
本堂に上がらせていただき、読経、お祈りすることができました。
ご住職がおられ、ご朱印をいただきました。

日輪寺は、関東でも茨城県の北の端にありますし。公共交通も不便な場所にあります。
板東三十三箇所の札所のなかで、地形的に一番難関なお寺だと思います。