- 佐竹寺の本尊は,聖徳太子が彫ったといわれる十一面観音で,それを護持していた花山法王の発願により,元密上人が寛平7(895)年に開創したと伝えられている。
元密上人とは,花山法王の板東巡礼に従った一行8人に名を連ねている僧である。
- 保延6(1140)年,観賢上人の教えでこの本尊に帰依していた豪族の初代佐竹昌義が,居城武運の隆盛を祈ると,たびたび霊験を得た。このため,佐竹氏代々の勅願寺となり,寺は隆盛を極めたという。
- 佐竹昌義がこの寺で二十尋(ひろ)の長さに節がひとつしかない竹を発見し,出世の瑞兆として「佐竹」氏を名乗ったという伝説があり,確かに今も,90cmほどの「一節の竹」が,庫裡に残っているそうだ。
- 観音堂は,天文12(1543)年に兵火に焼かれたが,3年後に第18代佐竹義昭が,佐竹城の鬼門よけとして現在の地に観音堂を再建。
- 天正18(1590)年には6支院と3ヶ坊を要する大寺となった。
北向観音と呼ばれるのは,鬼門よけのため,北に向かって建っているからである。
- しかし,関ヶ原の合戦で反徳川方となった佐竹氏は,慶長7(1602)年に秋田にお国替となり,佐竹寺も急速に衰退。さらには明治維新の廃仏毀釈で興廃を極めた。
- 本堂は,明治39(1906)年に特別保護建造物,昭和4年には国宝に指定されたが,住職不在の状態が続き,昭和24年にようやく前住職が晋山して寺観が整い,現在に至っている。
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