坂東第二十二番札所 佐竹寺

寺院名 妙福山佐竹寺
(みょうふくざんさたけでら)
通  称 北向観音
宗  派 真言宗豊山派
開  基 元密上人   985年
ご本尊 十一面観世音菩薩
真  言 おんまか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌 ひとふしに 千代をこめたる 佐竹寺
      かすみがくれに 見ゆるむらまつ

 札所データ 
住所 茨城県常陸太田市天神林町2404
交通(電車) JR常陸太田から徒歩30分 
交通(車) 常磐道常陸南太田IC20分
駐車場 駐車場7〜8台
地図サイト mapion


 歴 史
  • 佐竹寺の本尊は,聖徳太子が彫ったといわれる十一面観音で,それを護持していた花山法王の発願により,元密上人が寛平7(895)年に開創したと伝えられている。
    元密上人とは,花山法王の板東巡礼に従った一行8人に名を連ねている僧である。
  • 保延6(1140)年,観賢上人の教えでこの本尊に帰依していた豪族の初代佐竹昌義が,居城武運の隆盛を祈ると,たびたび霊験を得た。このため,佐竹氏代々の勅願寺となり,寺は隆盛を極めたという。
  • 佐竹昌義がこの寺で二十尋(ひろ)の長さに節がひとつしかない竹を発見し,出世の瑞兆として「佐竹」氏を名乗ったという伝説があり,確かに今も,90cmほどの「一節の竹」が,庫裡に残っているそうだ。
  • 観音堂は,天文12(1543)年に兵火に焼かれたが,3年後に第18代佐竹義昭が,佐竹城の鬼門よけとして現在の地に観音堂を再建。
  • 天正18(1590)年には6支院と3ヶ坊を要する大寺となった。
    北向観音と呼ばれるのは,鬼門よけのため,北に向かって建っているからである。
  • しかし,関ヶ原の合戦で反徳川方となった佐竹氏は,慶長7(1602)年に秋田にお国替となり,佐竹寺も急速に衰退。さらには明治維新の廃仏毀釈で興廃を極めた。
  • 本堂は,明治39(1906)年に特別保護建造物,昭和4年には国宝に指定されたが,住職不在の状態が続き,昭和24年にようやく前住職が晋山して寺観が整い,現在に至っている。


 訪 問 記
平成20年9月23日(火) 晴れ

 佐竹寺
山門は、昭和15年(1940年)の再建です。
江戸時代 宝永年間の作とされるる仁王像。
なかなか迫力がある仁王像です。
本堂前に大きなイチョウの木や、木々が多いです。

本堂は、天文12年(1543)建立で、国重要文化財です。
佐竹寺は、花山法皇の御発願により、聖徳太子の手彫の十一面観音像を本尊とし、元密上人が895年の開創しました。

この本尊に深く帰依した初代佐竹昌義は、居城の鬼門除けとして信心をあつくし、武運の隆盛を祈り寺領三百貫文の地を寄進し、佐竹氏代々の祈願寺と定めました。
関ヶ原の戦い後、佐竹氏は秋田に移封になり、寺は衰退しました。

茅葺きの重厚な屋根です。
小さなお地蔵様にかわいい服が着せてあります。
本堂には、至る所に札が貼ってあります。