平成19年11月

 三瀬館跡

一帯は県の史跡にも指定され、見張り台だった茶臼山までの歩道も整備されています。


三瀬館跡は、伊勢国司八代北畠具教の隠棲の地である。
永禄12(1569)年、具教は大河内城において、北畠氏の総力をあげて織田信長の大軍を迎え撃ったが、やがて抗しきれず、信長の三男茶筅丸(後の織田信雄)を養子とする条件で和議を結んだ。
隠居した具教は、宮川筋の要衝であるここ三瀬に館いて隠居し、勢威の回復を図っていた。
胴塚の碑

隠居した具教は、宮川筋の要衝であるここ三瀬に館いて隠居し、勢威の回復を図っていたが天正4(1576)年、信長の指令により信雄の差向けた刺客によって謀殺された。
胴塚

 ここには胴塚だけで、首塚は飯高町野々口にある。
 三瀬館跡から川を渡った対岸にある。
三瀬館跡 → 熊野の海 → 熊野本宮大社