平成19年11月

 除福公園

除福は中国秦始皇帝に方士として仕えていた人です。
方士とは仙術を使う人です。
紀元前3世紀頃、始皇帝の命を受け、不老長寿の霊薬を求めて、日本へ渡来したと伝えられています。

除福は大船に数千の童男、童女、金銀珠玉、五穀、器財を乗せて蓬莱という島へ向いました。
長い航海の後に着いたのが熊野灘、阿須賀神社あたりに漂着したようです。
除福は霊薬を手に入れた後も帰らず、土地の人々に耕作や捕鯨術などを教え、天寿を全うしたと伝承されています。
平成6年、墓の周囲は除福公園として整備され、中国風楼門も建てられました。

熊野速玉大社 → 除福公園 → 那智大社潮岬