平成20年 1月 広島県 吉田郡山

 清神社
清神社(すがじんじゃ)は、広島県安芸高田市吉田町にある神社です。Jリーグ・サンフレッチェ広島が必勝祈願する神社として知られている。
祭神は、素盞鳴尊、相殿に脚摩乳、手摩乳、稲田姫をはじめ五男三女神をまつっています。
 正中2(1325)年以後の棟札が全部あり、社宝も多くあります。ことに郡山の鎮守社として戦国時代に毛利氏の尊崇すこぶる篤く、社領があり、江戸時代にも蔵米3石余の寄附がありました。
 史跡ガイド事務局前
 吉田郡山城跡 吉田郡山城は広島県安芸高田市にある城です。
郡山城は毛利氏が広島城へ移るまで使われ、国の史跡となっています。 郡山城は、はじめ郡山東南の一支尾根だけでしたが、戦国時代の毛利元就の時、比高約200mの郡山全山に拡大されました。
城域は、東西約1.1km、南北約0.9kmで、南側の麓には内堀が巡り、城内には270段余の平段や、大通院、洞春寺、常栄寺、満願寺などの寺院も建立されました。
1541年、尼子詮久(後の尼子晴久)率いる2万の軍に包囲され攻められますが、大内氏の援軍として駆けつけた陶隆房勢の応援もあり、これの撃退に成功しています。
毛利隆元墓所
青山・三井山
1540年、尼子晴久が陣を張った山。
毛利元就の墓
毛利一族墓所
しょう岳禅師の墓
御蔵屋敷跡
二の丸跡
三の丸跡
勢留壇跡
その後も毛利氏の勢力拡大と共に拡張・整備され、元就の孫の毛利輝元の頃には石垣等も使用された近代的な城郭へと変貌しました。
毛利氏が豊臣大名になり、山間部の盆地に位置する吉田郡山城は交通の便も悪く、天正19年(1591年)に広島城がほぼ完成を見ると、吉田郡山城は毛利氏の本拠としての役割を終え、家臣や城下町の商人らは広島城下に移住しました。

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