平成20年 5月 

 香椎宮

香椎宮(かしいぐう)は、福岡県福岡市東区にある神社です。旧官幣大社。

香椎宮八幡宮に祀られる応神天皇の両親となる、仲哀天皇と神功皇后が祭神として祀られています
仲哀天皇は熊襲平定に訪れこの地に仮宮を置きました。

熊襲平定を急ぎたい仲哀天皇と朝鮮半島の新羅征伐を急務と考えた神功皇后との方針調整中に仲哀天皇は崩御された。また、神功皇后も活躍の後に崩御しました。
後の聖武天皇時代の神亀元年(724)に社殿を造営、二人を祀ったこの地は香椎廟と呼ばれ、明治時代より官幣大社香椎宮、戦後香椎宮と呼ばれて現在に至ります。
現在の建物は、享和元年(1801)に筑前藩主である黒田斉清が再建したもので、ここだけの様式である香椎造は国の重要文化財に指定されています。

楼門は質素な色合いですが、社殿全体のイメージは鮮やかです。
本殿(重要文化財)
日本唯一とされる香椎造の建築様式。享和元年(1801年)に黒田長順により再建されたものが現在に残る。
「香椎」の名は敷地内に香ばしい香りの「棺懸(かんかけ)の椎」が立っていた事に由来するといいます。

社伝では仲哀天皇9年(200年)、熊襲征伐の途中橿日宮(かしひのみや、記は訶志比宮)で仲哀天皇が急逝したため、神功皇后がその地に祠を建て天皇の神霊を祀ったのが起源とされる。
神木「綾杉」
神功皇后の三韓征伐から帰国した際、三種の宝を埋め、「永遠に本朝を鎮護すべし」と誓いを立てて鎧の袖の杉枝をその上に挿したものが現在の大木となったとされる。
普通の杉と葉の形状が異なり、綾状になっていることからこの名が付きました。
大宰帥に任じられた者は、香椎宮に参拝し神職からこの杉の葉を冠に挿されるのが恒例とされていました。

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