平成22年1月11日(月)

静岡県小山町〜神奈川県山北町


 唯念大名号碑

文政13年4月から、明治13年8月23日91才で没するまで40余年間、上野奥の沢で修業した唯念上人の筆になる「南無阿弥陀仏」の名号碑碑で、国内最大のものと云われています。
唯念上人は修行中も折をみては近隣を廻り、仏の道を説き、念仏講をつくり、又人々の安穏を祈るため「南無阿弥陀仏」の銘号碑を辻々に建てたといわれています。

 
  新羅三郎義光吹笙之石

 足柄峠にあります。
 新羅三郎義光(源義光)は、後三年の役に出兵した兄八幡太郎義家(源義家)の応援のため、官を辞し奥州へ向かいます。
足柄峠にさしかかった時、自分が戦死するかもしれないと、義光が笛の極意を授かった豊原時元の息子、時秋にこの塚に腰をかけて笙の笛の秘曲を伝授し、時秋を京に帰したと伝えられています。 
こういう場所が現代でもわかっているとは驚きです。

 足柄城址

 足柄城址は、足柄峠にあります。
 足柄峠は神奈川県と静岡県との県境に位置し、古くから交通・政治上の要衝の地として、しばしば戦場となってきました。

 足柄城はこの足柄峠一帯に築かれた城です。

 足柄城は、記録に残っている資料によれば、1536(天文5)年頃、北条氏綱によって築かれたと考えられています。
 武田氏滅亡後、北条氏は豊臣秀吉と対峙するようになり、1590(天正18)年に、秀吉の小田原攻めが起こると、北条氏忠がこの城の守将となりました。

 氏忠は、山中城が落城すると小田原城に退却し、残された守備隊は豊臣方の井伊直政(徳川家康の重臣)の攻撃をうけ、足柄城は落城しました。
 ここは、富士山撮影の絶好のスポットともなっています。
 足柄城址の碑と一緒に,雄大な富士山を撮影することができます。お天気がよければですが。

主郭

二の郭

 足柄峠
 足柄峠は神奈川県と静岡県との県境に位置し、古くから交通・政治上の要衝の地として、しばしば戦場となってきました。
 「足柄の関跡」の施設(門)は、映画の撮影で使われたセットを移築したものだそうです。
 足柄山聖天堂
 ご本尊は、大聖歓喜双身天(高さ1.8m)で、元は京都にあったものといわれ、昔、宮中の女官と武士が相思の仲となっていたのが、この聖天像に願をかけて一緒になることができたといわれがあります。 
 この聖天尊の御利益はあらたかで、衆生の迷いを救い願をかなえさせ、紋所である大根は、一家和合、商売繁盛、縁結び、厄除、開運をあらわしています。
 「日本三大聖天尊」(浅草聖天、生駒聖天、足柄聖天)の一つとして数えられています。
マサカリを担いで、熊の背にのった金太郎さんがいました。

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