平成23年10月 新潟県への旅・直峰城跡(一日目-1)

 直峰城跡
南北朝時代、南朝方の武将として活躍した風間信濃守信昭公の居城です。
中世の典型的な山城で、自然の地形を巧みに利用して造られています。慶長15(1610)年に廃城となりました。

直峰城は南北朝時代、南朝方の風間信昭が築いた城とされています。南朝方が壊滅すると上杉氏の支配下に組み込まれました。
北条氏康により関東を追われた関東管領上杉憲政の援助のため、関東に出兵する長尾景虎は三国峠への最短ルートと言うこともあり、繋ぎの城として直峰城を利用したと言います。
夜中に車で走ってきて、早すぎて、真っ暗な内に直峰城に着いてしまいました。
真っ暗では城跡を登れないので、明るくなるまで、車のなかで待っていました。
6時をすぎて、明るくなってきたので、城跡への道を登り始めます。
「伝上杉藤五郎房友殿御跡」

上杉藤五郎?がどういう人だか、御跡が具体的には何なのか皆目判りません。たぶん、風間信濃守の家臣だったと推察されますが。直峰城跡には、こういう表示がたくさんありました。
登り始めてまもなく、池がありました。
昔から存在して、城の水の手になっていたのでしょうか。
堀田隼人正顕殿御跡
家老 宅馬若狭守殿御跡
本丸への登山道は、ほぼ平坦な道と、上り坂が繰り返されています。ずっと登り坂ではないので、比較的楽に登っていけました。
だんだん、朝日が昇ってきました。
よく整備された登山道が続いています。
伝二の丸跡
伝蔵跡
郭が続いています。
本丸の手前に、樹齢800年と推定される大ケヤキが今でも残っています。

風間信濃守が城主の頃から、ここに生きていたのでしょう。
写真では大きく見えませんが、実際の木は、ケヤキの大木です。
本丸跡
駐車場がかなり山の上の方に位置しているので、歩くこと約20分ぐらいで、本丸跡に着きました。
まだ、午前7時にもなっていないので、ここに居るのは私一人です。
休憩所なのか、建物が建っています。
南朝の雄であった風間信濃守顕彰碑があります。
日が昇り、空が青くなってきました。
朝日が地平線より上に昇っています。
これで、本丸跡の見学を終わり下山することにします。
伝 増田五郎右衛門殿御跡
伝 御館様 風間信濃守殿御跡

城主であった風間信濃守の御跡もありました。本丸からだいぶ下った所にあります。
観音堂といわれてました。
現在は、石の祠があるだけです。昔が、建築があり観音様がいらしたのでしょう。
歴代城主の信仰が厚かったそうです。
直峰城跡がある山です。
お天気がよく、比較的楽に登れました。
この近辺を昔、風間信濃守や上杉謙信、その家臣団が闊歩していたのです。


平成23年10月 新潟県への旅・上越(一日目-2)