平成24年9月 滋賀県への旅一日目

滋賀県へ来て、まず大池寺へ来ました。駐車場に車を停め歩いてゆきます。
 大池寺 
大池寺の周りに、大きな池があります。
池の中に、鳥居が浮かんでいます。
池の中の小さな島に社があるようです。
長い刈り込み垣に挟まれた参道があります
山門と白壁の塀があり、ちょうど百日紅の花が咲いていました。

大池寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、丘陵に囲まれた閑静な場所にあります。
大池寺は、奈良時代末に、行基が4つの大きな溜め池を造り、そのほぼ中央に本堂を立てたのが寺の始まりとされています。寺名もこれに由来しています。
大池寺 庭園
大池寺で有名なのは、書院の蓬莱庭園です。

庭園は、サツキの大刈込みの鑑賞式枯山水庭園で、江戸時代に水口城を築城した小堀遠州が作庭したと伝えられています。
書院の正面にある2段大刈込みは、海の大波小波を表し、真っ白い砂の上に宝船を浮かべた姿を表現しています。

宝船は、様々な刈込みを用いて七福神が乗っているのを象徴しています。

きれいに刈り込まれた刈り込みが素敵です。サツキの花が咲く頃はさらに見事でしょう。また,来たいものです。
こちらは、庭園の隅、書院建物近くにあり、亀を表しています。


 水口城跡
 明治7年に廃城となった水口城が復元されて、現在水口城博物館として公開され水口城に関する資料を展覧しています。

この日は、開館していませんでした。


 善水寺

 善水寺は、岩根山の中腹にある天台宗の寺で、湖南三山の一つに数えられています。
 奈良時代中期、和銅年間に国家鎮護の道場として建立され、当初は和銅寺といいました。
平安時代、最澄が入山し、延暦寺の別院を建立し天台宗に改めました。

桓武天皇が病気になり、最澄が法力によって霊水を献上したところ、天皇が回復したことから現在の寺名に改められました。
本堂 (国宝)は、南北朝時代、貞治五年(1366)の再建です。

木造入母屋造桧皮葺、桁行七間、梁間五間、堂々たる天台密教仏殿です。

屋根の曲線が美しいです。
  本堂は、織田信長の兵火の時も唯一消失を免れ、国宝に指定されています。 
堂内には、本尊の木造薬師如来坐像をはじめ、梵天・帝釈天・四天王立像など、天平時代から平安時代を代表する素晴らしい仏様が安置されています。素敵な仏様で、感動しました。善水寺に来てよかったです。
山の上にある、文字どおり山岳寺院です。
磨崖不動明王尊
小さな舞台造りの本堂の脇の大きな自然岩に彫られています。
「建武元年(1334)3月7日、卜部左兵衛入道充乗造え」の銘があります。
卜部は、善水寺の住職の姓で、代々つがれているそうです。

 
 長寿寺

所在地:滋賀県湖南市東寺5丁目1-11
 長寿寺も湖南三山のひとつで、奈良時代後期、聖武天皇の勅願によって良弁が創建したと伝えられています。
 平安時代初めに中興されたのち、一時衰え、鎌倉時代初期には源頼朝が、室町時代には足利将軍家が祈願所として諸堂を造改修したといわれています。現在でも足利尊氏の制札が保管されています。
 参道は、桜や紅葉の季節には美しいとのことでしょう。

ちょうどお昼時だったからか、お寺の方がいなくて収蔵庫などを拝観できませんでした。
 長寿寺の本堂(国宝)は、低くい姿形の建物です。また、収蔵庫には、大仏の阿弥陀如来坐像が安置されています。本堂前のにある池の畔には弁天堂が建っています。

長寿寺には、かつて三重塔がありましたが、信長によって安土へ移築され、現在は総見寺に重要文化財として現存しています。

 
 鈎(まがり)の陣跡
「鈎の陣」の石碑は上鈎池西側の公園にあります

上鈎池は、周囲を高い土手が囲んでいます。
その土手の西側中腹に、「九代将軍足利義尚公、鈎の陣所ゆかりの地」と彫られた大きな石碑があります。

横には歌人だった義尚が交わした何首かの和歌を刻んだ石が何基か並んでいます。天皇や父の足利義政の歌もありました。
この辺りも、鈎の陣の一角だったそうです。

 
 永正寺(鈎の陣跡)

所在地:滋賀県栗東市上鈎270

 戦乱に明け暮れる室町時代、近江国では守護佐々木六角氏により貴族や社寺の荘園が横領されていました。
 室町幕府第9代将軍足利義尚は、長享元年(1487)、幕府の威信回復をかけて六角高頼討伐のため近江に進軍し、当初は琵琶湖西岸坂本(大津市坂本)に陣を構えます。
 その後、同年10月4日には湖を渡り、「鈎之安養寺」(東方山安養寺)に進軍し、陣を張りますが、手狭であったため3週間あまりで、安養寺から延暦寺僧真宝坊の居館「真宝館」に陣を進めました。
 鈎の地におかれたことから鈎の陣と呼ばれた、都からも貴族たちが訪れ、歌会や芸能なども行われました。しかし、長享3年(1489)義尚が病のため陣中に没すると、まもなくこの鈎の陣は焼き払われました。
 現在、栗東市上鈎の永正寺周辺は「鈎の陣」と伝えられており、市の史跡に指定されています。また、「鈎の陣」の石碑は、上鈎池西側の公園内にあります。


 御上神社

所在地:滋賀県野洲市三上838 

 御上神社は、近江富士で有名な三上山の麓、国道8号沿いの森の中にあります。
 祭神は天御影之神(あめのみかげのかみ)。この神が三上山に降臨したのを祀ったのが始まりといわれています。
 境内は、深い老樹の木立に囲まれて、厳かな雰囲気です。
楼門(国重文)
堂々とした楼門です。素晴らしい姿です。
拝殿(重文)
 楼門をくぐると優雅な拝殿、本殿、その左右に若宮社・三宮社が並んで建っています。
本殿(国宝)
 本殿は滋賀県の神社建築の国宝の第一号で、約700年前の建築です。
 神社・仏堂・御殿の3様式が合成された御上造とよばれる建築様式です。
三上山


 円光寺
 
所在地:滋賀県野洲市久野部266

 円光寺は、天台真盛宗の寺院です。江戸時代に、観音菩薩を本尊とする長福寺と、阿弥陀如来を本尊とする円光坊(えんこうぼう)を合併して再興された寺です。
 一見、神社のように見える寺院で独特の雰囲気があります。本堂は、国重要文化財です。


 矢島御所
所在地:滋賀県守山市矢嶋町

 室町幕府十三代将軍、足利義輝が三好一族に殺された後、奈良にいた覚慶(後の義昭)が、足利家継承のためこの地に逃避し、一年四ヶ月滞在したとある。義昭はこの後越前へ行き朝倉氏に保護され、次に信長に擁立されて上洛し第十五代将軍になっています。
 現在は地区の自治会館があり、この場所が、足利義昭の矢島御所跡です。
自治会館前に、真新しい石碑が建っていて、「史跡矢嶋御所跡」とあって説明文が刻字されています。

これで、この日の観光を終了し、早めに大津市内のホテルに向かいました。

滋賀県への旅二日目