平成25年10月 富山県への旅1日目
ゴールデンウィーク以来、旅に行っていませんでしたが、久しぶりに旅に出ました。
車で富山県へ来ました。

 桃井直常の墓
 桃井直常の墓があるという富山市牧野の東薬寺に来ました。
 桃井直常は足利家一門で、当初は足利尊氏と行動を共にして、若狭・伊賀・越中を守護する大身となりました。その後、尊氏と対立するようになり何度も越中、信濃などで反乱を試みて、その都度鎮圧され次第に勢力が失われ、やがて行方が判らなくなりました。墓は、東薬寺の手前の田んぼの中に墓の五輪塔がありました。

 龍高寺
 龍高寺は、富山市月岡町6丁目にあります。桃井直常の菩提寺でした。富山市布市の旧地から移転しています。案内板も無く、関連がよく判りませんでした。  

 興国寺
 桃井直常の創建で、直常の位牌が安置されており、直常の供養塔があります。昔訪れたことがありますが、また訪れました。

 法蔵寺
 富山市大塚にあるお寺です。桃井直和の墓があるwebで見かけたので訪れました。しかし、案内板もなく判りませんでした。  

 安養山 瑞現寺
 富山県射水市野村にある瑞現寺に来ました。瑞現寺は、後醍醐天皇の第八皇子宗良親王の開基と伝えられています。南北朝に分裂した時代、宗良親王は32歳で越中に入られ、その居を転々と移された草庵(隠棲)の一つとされております。  

 放生津八幡宮
 創始は天平勝宝年間(749〜756年)と伝え、越中守大伴家持が宇佐神宮から勧請したと伝えます。高瀬輔太郎が棟梁となり、文久3年に再建されました。
 大寺院と見まがうような社殿です。大きいです。  
松尾芭蕉の句碑
 境内に、「早稲の香や 分け入る右は 有磯海」という句碑があります。
 この俳句は、奥の細道で、7月14日、滑川から浜街道を歩き、富山へ寄らずに、浜中の松原を通って放生津に入ったとのことです。  

 藤乃宮新明宮
大納言徳大寺實通卿が、奈呉の浦に下向の折詣で、藤の木を植えた事に因んだと伝えられます。 神領地の舟付は宗良親王が上陸した舟着(付)であると伝えられます。  

 樸館塚
 ここは、宗良親王が、牧野で3年ほど過ごした時の宮跡です。  黒木の丸柱で造った粗末なものだったので、「黒木のお館」と呼ばれていました。  

 気多神社
 気多神社(けたじんじゃ)は、富山県高岡市伏木一宮にある神社で、越中国一宮です。
 高岡市伏木は、かつて国府や国分寺が存在した越中国の中心地でした。  
 本殿は、室町時代の特質を残しているとして、国重要文化財に指定されています。

 越中国分寺跡
 気多神社から戻ってくると、越中国分寺跡があり、小さな薬師堂が建っています。  

 恒性皇子御陵墓
 高岡市二塚にある恒性皇子の御陵墓を訪問しました。
 元弘の変(1331年)で、後醍醐天皇の皇子、恒性皇子は、越中守護である名越時有のもとへ送られて幽閉されました。その後、名越時有によって殺害されました。  

 二塚城跡
 同じく高岡市二塚にあるにある二塚城跡です。現在は田んぼの中にあります。
 鎌倉時代末期、越中守護名越時有は放生津に城を構えると共に、二塚にも支城を構えました。  

 極楽寺
 高岡市坂下町58にある極楽寺へ来ました。後醍醐天皇の第八王皇子、宗良親王開山の寺といわれています。  

 極楽寺
 同じく高岡市の博労町にある極楽寺へ来ました。この寺も宗良親王を開山に勧請した寺といわれています。  
後醍醐天皇供養塔
 宗良親王は、この地にご滞在中に、父帝後醍醐天皇の3回忌の御忌つとめられました。  

この日の観光はこれで終了しホテルへ向かいました。
富山県への旅 2日目