平成26年3月16日 伊勢2日目

 午前7時前に、伊勢神宮 外宮の駐車場に着きました。
 まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされています。

 豊受大神宮 (外宮)

 外宮では、食物・穀物を司る神である豊受大御神がお祀りされています。
 内宮創建から500年後、伊勢の山田原にご鎮座されました。衣食住をはじめ、あらゆる産業の守り神です。

 延暦23年(804年)に編纂された社伝「止由気宮儀式帳」によれば、雄略天皇22年、天皇の夢に天照大御神(内宮祭神)が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せるように」と神託したので、同年7月7日、内宮に近い山田の地に豊受大御神を迎えて祀ったのに始まります。

 代々度会氏が神職として奉職しましたが、中世には度会家行が、豊受大神は天之御中主神・国常立神と同神であり、外宮は内宮よりも立場が上であるとする伊勢神道(度会神道)を唱えました。また、門前町として山田が形成されます。
 初めてお伊勢参りにきました。
 早朝なので、それほどは混雑はしていません。静かな雰囲気です。
 この日の朝は未だ寒かったです。
 神域はとても広いです。  参道を歩いて行きます。
 御正殿(ごしょうでん)
 
 御正殿は、「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」という日本古来の建築様式を伝えています。屋根は萱葺きで、9本の鰹木(かつおぎ)がのせられ、先端の千木(ちぎ)は内宮の御正殿とは異なり垂直に切られています。

 唯一神明造は檜の素木を用いて高床式の穀倉の形式から発展したものといわれ、現在まで脈々と受け継がれています。
 うっそうとした森の中に、静かに水をたたえた池があります。


 皇大神宮(内宮) 

 皇室の御祖先の神である天照大御神がお祀りされています。
 垂仁天皇の26年(紀元前4年)に、五十鈴川の川上にご鎮座された」日本人の総氏神」です。
 
五十鈴川の流れは澄んでいて、とてもきれいです。
宇治橋を歩いてゆきます。

宇治橋は、聖界と俗界との架け橋といわれます。
 境内は、外宮よりも内宮の方が、広いと思います。広い神域を歩いて行きます。
五十鈴川御手洗場(いすずがわみたらし)
 昔は、参拝をする前に、五十鈴川の清流で心身を清めるところのようです。
 現在では、手を清流に浸すぐらいでしょうか。
御正殿(ごしょうでん)が近くなってきました。
御正殿(ごしょうでん)
 唯一神明造という日本古来の建築様式を伝える御正殿があります。
 屋根は萱葺きで、10本の鰹木(かつおぎ)がのせられ、先端が水平に切られた4本の千木(ちぎ)が高くそびえています。
 唯一神明造は檜の素木を用いて高床式の穀倉の形式から発展したものといわれます。
 昨年は、20年に一度の式年遷宮が行われました。左右に、新しい御正殿と、これまでの古い御正殿が両方とも建っていました。
 御正殿は、階段から上に上ると撮影禁止になっています。
御正殿の建築は、この建物を大規模に大きくしたものなのでしょう。
内宮の参拝を終え、おかげ横丁へ歩いてゆきます。
途中で、伊勢名物の赤福を購入しました。
おかげ横丁は、内宮前にあるお伊勢参りで賑わった江戸時代末期から明治時代初期の門前町の町並みを再現した観光地です。

2日目 長野氏城跡