平成26年3月16日 伊勢2日目

 長野神社

 長野神社は、安濃国造(あのくにのみやつこ)社に由来します。
 安濃国造社は、もとは、経ヶ峰の中腹にあり、それを長野家2代当主・祐藤が、人々が礼拝しやすいように、現長野神社の境内に、この国造社を移転させたということです。
紅梅がちょうど咲いていました。
現在は、集落の鎮守という雰囲気です。


 長野氏城居跡
長野氏城居跡へ来ました。
国指定史跡となっているので、進入路の表示がわかりやすくあるだろうと思っていました。しかし、よくわからない。
道を行き過ぎたと思い、引き返してきました。
道の脇に、標識が立っていました。
これでは、あまりよくわからない。

専用駐車場はありません。仕方がないので、広めの農道に車を停めさせてもらいました。
道路わきに、説明板と案内標識がありました。
工場か倉庫のような建物の脇から、城跡に入る道がありました。
長野氏城居跡は、長野氏が、通常居住するための城かと思われます。

山の上にある長野氏城跡は、非常時の詰めの城です。

長野氏城居跡は、山の3つの峰に各郭があり、それぞれが「東の城」、「中の城」、「西の城」と独立しています。
杉林の中を歩いてゆくと、水が流れてきています。
進入路から約5分ほど歩くと、右手の丘陵に上る坂があり、上ってゆきます。
東の城跡への分岐があります。
ちゃんと標識があるのですね。
100mほど歩いてゆきます。
早春の時期なので、草は生えていなくて、歩きやすいです。
東の城跡
丘陵とはいいながら、ほとんど山のような高さがあります。標高は40、50mぐらいあるのでしょうか。
下草が刈られ、木の枝も払われているのか、日が入り明るいです。
東の城跡の丘陵を降りてきて、中の城跡を目指します。
山の上にある長野氏城跡を上ってきたので、疲れがでています。へばっています。日頃の運動不足ですから。
中の城跡へは、さらに上り坂を上ってゆきます。


長野氏城居跡は、とても広大です。驚きました。
しばらく上ってゆくと道際に標識があります。
中の城跡への分岐です。
中の城跡へ向かってゆくと、堀切があり、一段高い郭があります。
腰郭
中の城跡も、かなり広いです。
中の城跡
中の城跡を見学し、西の城跡を目指します。
坂を上ってゆくので、へばってきました。
西の城跡の分岐があります。
西の城跡も独立した丘陵の上にあります。
一面杉林です。
西の城跡

城跡を三つ行きました。お昼時なのでお腹もへってきて、かなり疲れました。
もと来た道を降りてゆきます。
この城は大規模な城だなと思います。かなり見ごたえがありました。
東の城がある丘陵です。
中の城、西の城がある丘陵です。

2日目 津城跡