平成26年5月 長崎県

 20年ぶりに長崎県へ来ました。ほんとうに久しぶりです。20年前に来たときは、福岡空港から九州入りしましたが、今回は、長崎空港から九州入りしました。
 長崎空港からレンタカーを借り、北西の方向、東彼杵町へ向かいました。

 大樽の滝
 東彼杵町にある、河川公園やすらぎの里に来ました。ここに、大樽の滝があります。
下から2段目左岸に奥の院と呼ばれる洞窟があるとのことです。鎌倉時代末、江串三郎が尊良親王を奉じて挙兵した時に、尊良親王が匿われた場所といい伝えられています。
 江串三郎入道塚
 国道と旧長崎街道に挟まれた所に観音堂あり、その脇に江串三郎の墓と伝えられている入道塚があります。
 串島城跡
 大村湾に突き出た小さな岬に串島城跡があります。元弘3年(1333)、地元の豪族江串三郎入道が討幕の兵を挙げた串島城跡です。一帯は、茶畑やジャガイモなどの畑となっており、城の遺構等は確認できませんでした。
 宮村館跡
 佐世保市萩坂町にある宮村館跡に来ました。
 南北朝時代に宇都宮弥三郎通景によって築かれたといわれます。元弘2年(1332年)、宇都宮弥三郎通綱が後醍醐天皇の皇子尊良親王を守護してこの地へ下向したことに始まり、その子宇都宮通景が応安3年(1371年)に宮村地頭職となり、肥前宇都宮氏の祖となったとのことです。
 現在は、萩坂公園として整備されています。
 宇都宮神社
 豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)と宇都宮弥三郎通綱を祭神として、応安3(1371)年、宇都宮通影が創建したといいます。


 佐世保市の宇都宮神社を後にし、長崎市内へ向かいました。
 東そのぎICから、長崎自動車道に乗り、高速で長崎市内を目指しました。
 泊まるホテルの駐車場に車を停め、早速長崎市内を見学しました。
 お天気は、あいにく曇りです。


 上野撮影局跡
 中島川沿いの一角に「上野彦馬宅跡」の石碑が建てられています。上野撮影局は、横浜の下岡蓮杖と並び日本最初の営業写真館でした。
 亀山社中記念館へ歩いて行きます。5月半ば、きれいな花が咲いているお家がありました。
 坂を登り、だんだんと高度が高くなってきました。
 坂本竜馬ブーツ像
 1995年、亀山社中創設130年を記念して作られたブロンズ製のブーツです。長さ60cm、大きいです。
 亀山社中記念館跡
 亀山社中は、慶応元年(1865年)薩摩藩や長崎の豪商小曽根家の援助を受けて、坂本龍馬とその同志により設立された結社で、日本初の商社といわれています。その遺構を現在の建物所有者の厚意により、長崎市が当時の姿に近い形で整備し、平成21年(2009年)8月から公開しています。
 坂本龍馬之像跡
 平成元年5月、製作者は長崎市在住の彫刻家、山崎和國氏。全国の有志の募金により建立されました。
  周囲には龍馬を写真撮影した上野彦馬の墓や、亀山社中跡など龍馬ゆかりのものが散在しています。
 長崎市内を一望できます。
 大浦お慶居住地跡
 幕末から明治にかけての女傑です。慶は、日本茶輸出貿易に成功し、坂本龍馬・大隈重信・松方正義・陸奥宗光らと親交があったとされます。
円山公園に来ました。
公園の一角に、坂本龍馬の銅像があります。しかし、ちょっとイメージと違うなと思いました。
 出島跡(国指定史跡)
 出島は、鎖国時代の約200年間、日本で唯一西洋に開かれていた貿易の窓口でした。
 19世紀、島内には住居や料理部屋、蔵、番所など49棟もの建物がありました。 
 明治期にその役割を終え、陸地の中に埋もれ、人々の記憶からも消えかけていましたが、長崎市が出島を復元しました。
 長崎 海軍伝習所 奉行所 イエズス会本部跡 長崎県庁
 
 後藤象二郎邸跡
 後藤象二郎は、土佐藩の軍事産業を活発化させるため、慶応2年(1866年)に長崎に赴任、土佐商会を設立し、岩崎弥太郎をその主任とした。また、海援隊の坂本龍馬とも会談を重ねた。慶応3年(1867年)、四侯会議(島津久光、松平春獄、伊達宗城、山内容堂)が行われている京都に向かう途中の船内で、同行の龍馬から「船中八策」を提示され、これを京の山内容堂に提出。これをもとに容堂が将軍徳川慶喜に大政奉還を建白した。

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