平成26年8月 長野県への歴旅

 夏休みを取得し、車で長野県へ観光に行くことにしました。まず、中央高速を韮崎ICで降りて、山梨県北杜市へ来ました。
 お天気は晴れ、日差しが肌に痛いです。日焼け止めを持ってくるのを忘れました。
 白須松原と宗良親王歌碑
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  この地は、平安時代頃から松林が続き白須松原と呼ばれ、茸の産地としてとして知られていたそうです。
征東将軍宗良親王の歌碑
 南北朝時代、南朝方の宗良親王は、甲斐の国の武将たちを味方につけようと、駿河の国から入ってこの地まで来ましたが、味方につく者はなく、松のかげで野宿し、寂しく信濃の国佐久地方へ向われました。

 信玄棒道(ぼうみち)
mapion ← 場所はこの辺りだったかと思います。
棒道は、戦国時代の武田信玄が開発したとされている軍用道路で、甲斐国と信濃国を結んでいます。

地元では信玄棒道と呼ばれていますおり、「棒道」の由来は、荒野にまっすぐ一本の棒のように存在していたからだそうです。
信玄棒道が見えます。よく、保存されているものです。道幅は、それほど広くは感じませんでした。

 諏訪大社下社・秋宮
諏訪大社は、創建の年代は不明ですが、日本最古の神社の一つといわれるほど古くから存在します。
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諏訪湖周辺にある4つの諏訪大社のうちの一つ、下社秋宮に来ました。

下社は、諏訪湖北岸、諏訪盆地の北縁にあり、上社に対しては下流の位置にあたります。
神楽殿(重要文化財)
 江戸時代、天保6年(1835年)の造営です。
幣拝殿(重要文化財)
 江戸時代、安永10年(1781年)の造営です。
 幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造りで、左右に片拝殿(重要文化財)が並びます。

 諏訪大社下社・春宮
 春宮(はるみや)は、下諏訪の町の北端、秋宮の北西約1.2kmの地に鎮座しています。
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下社最初の遷座地とされ、西方には砥川が流れています

参道途中には、下馬橋という太皷橋があります。
神楽殿
 江戸時代、天和年間(1681年-1684年)頃の造営です。
幣拝殿(重要文化財)
 江戸時代、安永9年(1780年)落成しました。
 幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造りで、左右に片拝殿(重要文化財)が並んですます。
 秋宮と同じ造りです。下社の伽藍は立派です。

 万治の石仏
 春宮の境内から歩いて、万治の石仏を見学しました。
 石仏の由来は、明暦3年(1657年)、諏訪高島三代藩主忠晴が、諏訪大社下社春宮に遺石の大鳥居を奉納しようとしました。命を受けた石工がこの地にあった大きな石を用いようとノミを打ち入れたおり、はからずもその石から血が流れ出た。驚き恐れた石工は大鳥居の造作を止め、あらためてこの不思議な石に阿弥陀様を刻み、霊を納めながら建立したとのことです。
仏様の体躯は、本当に大きな石を刻んだようです。その上に、頭にあたる石を載せたような構造です。ユーモラスな石仏です。
万治の石仏の参拝方法は、以下のとおりと決まっています。

一、正面で一礼し、手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じる。
二、石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する。
三、正面に戻り「よろずおさめました」と唱えてから一礼する。
   万治の石仏の参拝から帰り、春宮の駐車場に戻ると、私の車の隣のスペースに、T-REXという三輪の車が停まっていました。

バイクを改造したアメリカの車のようです。バギーように風防が無いスポーツカーです。初めて見ました。
一日目は、伊那市に向かい、ビジネスホテルに宿泊しました。
長野県の旅 二日目