平成26年8月 長野県への歴旅 二日目

朝方は、雨が降っていましたが、時間が経つにつれて雨は上がり、薄曇りとなってきました。それほど暑い日ではなかったです。

 中央構造線
 中央構造線は、日本最大級の断層です。関東から九州へ、西南日本を縦断する大断層系で、1885年(明治18年)にハインリッヒ・エドムント・ナウマンにより命名されました。
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大鹿村中央構造線博物館
 建物のほぼ真下をとおっている中央構造線と、大鹿村の岩石標本の展示を中心に、地震と地殻変動、地盤・土砂災害と地形のでき方などを展示しています。
7,000万年ほど前に、すでにアジア大陸の東の端にできていた日本列島の大陸側半分に、南からやって来きた太平洋側の半分がくっ付いて、日本列島が完成しました。その接合面が中央構造線です。

1,450万年ほど前に日本海ができて、日本列島は大陸から離れました。そのとき糸魚川・静岡構造線の東側が陥没しました。これがフォッサマグナです。
この写真の中央あたり、遠く彼方から手前へと、中央構造線が通っています。

 福徳寺

大鹿村大河原 上蔵集落にある、福徳寺にきました。道路の脇に福徳寺の阿弥陀堂だけがあります。
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このお堂の前で、「大鹿村騒動記」という映画のロケが行われたそうです。
 このお堂が長野県最古の建物で、国の重要文化財です。鎌倉時代に完成した、約800年前の建物です。
 江戸時代天保十年、老中水野忠邦がこのお堂を浜松に移築しようとしましたが、村民こぞってこれを拒み、移築はできませんでした。

 香坂高宗の墓
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福徳寺 阿弥陀堂から歩いて、4〜5分ぐらいの小高い丘陵上にあります。
 南北朝時代、香坂高宗は宗良親王が信濃に入ると、親王を大河原城に迎え南朝方の人々と共に北朝方と戦いました。

 大河原城跡
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 大河原城跡は、同じく上蔵集落の崖際に石碑があり、城跡は今では畑や民家になっています。
 香坂高宗は、この城に宗良親王を迎え、南朝方として戦いました。
 宗良親王は、後醍醐天皇の第4皇子で、今から約650年前の南北朝時代に、この地を本拠にしていました。遠江・駿河・三河・甲斐・信濃・越後・上野・美濃等に軍を進め、信濃宮・上野宮・越中宮とも尊称されました。
ダリアでしょうか。きれいな花が畑に咲いていました。

 信濃宮神社
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信濃宮神社は、大鹿村上蔵のはずれにあります。
信濃宮神社の御祭神は、宗良親王です。
大鹿村上蔵から、林道を走り、林道が行き止まるところにある、御所平に来ました。
南アルプスが間近に迫る奥地です。

 御所平
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後醍醐天皇の第八皇子宗良親王が三十有余年在住した居住の地です。
大鹿村の林道の突き当りにある、南アルプスに囲まれた秘境の地です。

こういうところに、後醍醐天皇の皇子である宗良親王が居住していたとは不思議な感じがします。
 これで観光を終え、早めに昨日泊まったホテルに帰りました。

長野県の旅 三日目