平成27年 佐賀県・福岡県の旅 一日目午前


 前日の午後に、成田空港から佐賀空港へ飛行機で来ました。
 関東地方の天候は、雪の予報だったため、飛行機が飛ぶか心配でした。
 成田市内のお天気は雨で、飛行機は飛ぶことができました。よかったです。
 佐賀市内に宿泊し、早朝、福岡へ来ました。

 安国寺
 福岡県久留米市山川神代1-5-21にある安国寺に来ました。
 安国寺は、臨済宗南禅寺派寺院です。山号は神代山。本尊は釈迦如来。

 前身は白雉2年(651年)創建の萬法寺(ばんぽうじ)です。
 暦応2年(1339年)に足利尊氏により、月庭守晴を開基として寺号を安国寺に改められ、寺領300貫が寄進されました。
 塔頭9院、末寺20ヶ寺を擁る寺院でしたが、後に衰退し、近世初頭には塔頭・宝林庵のみとなりました。
 天正15年(1587年)、塔頭の宝林院の天功守琢が豊臣秀吉に願い出て再興、52石の寄進を受けました。
 私は、全国の安国寺の参拝を目指しているので、昔から訪れたかったのです。よかったです。
 安国寺甕棺墓群
 安国寺の隣にあります。筑後川の南岸で発掘された弥生時代中期(紀元前1世紀頃〜1世紀頃)の遺跡です。遺跡は、東西約60m、南北約90mのほぼ楕円形に広がっています。
 調査地で検出された遺構は、甕棺墓111基、土坑墓4基、竪穴(たてあな)4基、祭祀遺構17ヵ所です。
 弥生時代の墓制を知るうえで重要であることから、1980年(昭和55)に国指定史跡に指定されました。
 史蹟 杜渡之跡
 久留米市宮の陣町大杜にある杜の渡し跡に来ました。筑後川流域にあります。
 筑後河口上流に向かって約31km地点、九州自動車道の橋が筑後川に架かっており、その右岸の土手の草むらのなかにひっそりとたたずんでいます。
 ここは中世の道路が通っており、戦略上から、また陸や河川交通の上からも要所でした。
 下高橋城
 福岡県三井郡大刀洗町大字下高橋にあります。
 下高橋城は、南北朝時代に高橋氏によって築かれました。
 島津氏の猛攻によって筑前岩屋城にて玉砕した高橋紹運の本貫の地が下高橋城です。
 現在、本の丸跡が竃門神社(高橋神社)の境内となっています。城の遺構は、ほとんど残っていませんが、神社の周囲にある溝が堀跡かと思われます。

この後は、大刀洗町及び小郡市内に散在している、大原合戦(筑後川の戦い、大保原の戦い)関連の史跡を訪れました。

大原合戦は、日本三大合戦の一つです。正平14年(1359)8月征西将軍懐良親王を奉じた菊池武光の大軍4万と、小弐頼尚の大軍6万が大保原を中心に一大決戦を展開しました。

8月7日の一日の戦闘で両軍の戦死者5千4百5十余人、戦傷者を合わせ2万5千余人にも及ぶ激戦であったと伝えられています。九州はこの後、13年ほど南朝の支配下に入ることとなりました。
 大刀洗の場所
所在地:福岡県朝倉郡筑前町山隈
 正平14年(1359)8月7日、大保原(小郡市)で小弐頼尚に勝利した菊池武光は、さらに敗走する敵を追って山隈原まで進出しました。この方面で戦っていた小弐方の大友勢も菊池勢の側面からの攻撃に敗れました。
 武光はさらに小川を渡り、深く追撃しようとしましたが、夜明け前からの激戦で、味方も損害が大きく、進撃することを止め、軍を山隈原にまとめました。
 朝からの戦いで血まみれの刀を大刀洗川で洗うと、刃は鋸のようにこぼれており、川の水は貞っ赤に染まったといいます。
 大刀洗公園
三井郡大刀洗町にあります。公園の中央を、大刀洗川がおだやかに流れています。
園内には、勇ましい菊池武光の銅像が立っています。
 山隈城跡
 福岡県小郡市山隈にあります。
 築城年代は、南北朝時代に小弐頼尚が陣を築いたのが始まりといいます。
 筑前国と筑後国の国境にあり、主郭は筑前、ニの丸は筑前と筑後に位置しています。
 戦国時代に入ると秋月種実の支城となりましたが、天正15年(1587)の豊臣秀吉の九州進攻後は小早川隆景の領地となり、関ヶ原後に小早川氏が国替えとなると廃城となりました。
 現在は城山公園として整備されており、駐車場に車を停めて山道を登り始めます。
頂上の主郭には、日方神社があります。
頂上には、展望台があります。
お天気は曇り、ときどき雨でした。寒かったです。
ニの丸が駐車場となっています。 ここまで車で上がれるようですが、アクセスがわかりませんでした。
 大原古戦場碑
 小郡市役所東隣に東町公園があります。
正面高台に「大原古戦場碑」と刻んだ大きな自然石の記念碑があります。
 福童原古戦場(千人塚)
所在地:小郡市寺福童
福童原古戦場(通称、千人塚)は、南北朝の騒乱の一つである大原合戦(1359年)から15年後の1374年に、大宰府を追われた南朝側の菊池勢と北朝方の今川勢が戦い、その戦死者を祀った伝えられる場所です。
現在、塚の上にお堂があり、福童原古戦場碑と、戦死者を弔う石碑が立っています。
 善風塚
所在地:小郡市大保
 大原小学校運動場の端にあり、すぐ後ろには西鉄電車が通っています。周囲から少し高く盛り上がった塚の中には30本ほどの大きな木々が茂っています。昔、このあたりに「善風塚」と呼ばれ7つの塚がありました。
 この「善風塚」は明治から昭和にかけての開発によって壊されてしまいました。現在は、家々が建ち並び、当時を想像するのが難しくなっています。
 高卒都婆
所在地:小郡市大保
 高卒都婆は、大保原合戦の戦死者を葬った塚といわれます。
 筑後川の戦いにおける死者を葬り、僧侶数千人で供養したのがこの地といわれます。
地元に「史跡卒都婆を守る会」ができ、決戦記念日の8月に毎年供養し霊を慰めているといいます。

平成27年 佐賀県・福岡県の旅 一日目午後