平成27年5月 福岡県への旅 二日目

 この日は、福岡市内を、レンタカーで回り見学しました。
 
 元寇防塁(生の松原地区)
文永11年(l274)蒙古の襲来を受けた鎌倉幕府は、建治2年(1276)に博多湾の海岸線に石築地を築いて再度の来襲に備えることにしました。

これを元寇防塁(げんこうぼうるい)と呼びます。
 を生の松原地区元寇防塁は、昭和43年発掘調査が行われ、海への傾斜面に幅1〜1.5m、残高1.8mに石を積み上げ、その後ろを粘土で補強していることが判明した。
 防塁の一部は築造時の高さに復元され、見学できるようになっています。
史料によればこの付近の防塁構築は、肥後国と分担地区とされていたそうです。
  「蒙古襲来絵詞」に、肥後の御家人竹崎季長が防塁の前を馬上で進む場面は、この生の松原の情景です。

 次に、脇地区の元寇防塁に来ました。

 元寇防塁(脇地区) 
 元寇防塁とは、1274年の蒙古襲来(文永の役)後に、再度の来襲に備えて今津から香椎浜まで約20qにわたって築かれました。
 1281年の蒙古襲来(弘安の役)では、蒙古軍の上陸を阻止するのに役立ったようです。
 元寇防塁は、現在では、部分的にしか残っていません。
 道より一段高くなったところに石碑と説明板があり、長方形に柵で囲ってあります。長辺は150mほど。防塁は埋まっているのでしょうか、特に石積の防塁は見えません。

 渋川尭顕の墓(探題塚)
福岡県福岡市西区姪の浜2−15 
渋川尭顕の墓とされる探題塚へ来ました。
渋川尭顕は最後の九州探題とされる人物で、1534年頃にここ光運寺山城(万正寺山)で討死し、この地に葬られたといいます。

 小戸大神宮(おどだいじんぐう)
所在地 福岡市西区小戸公園
 伝説では伊邪那岐(いざなぎ)の神の「みそぎ祓(ばらい)」をしたところで天照大神、志賀三神、住吉三神が出現したという由緒の地とされています。
享保10年(1725)6代藩主黒田継高(つぎたか)が社殿を建立し、伊勢神宮の古例にならい、20年ごとに新旧両殿交互に改築遷座が行われていたといいます。
神功(じんぐう)皇后の休憩安産石の由緒により、安産祈願またけいれんの病に霊験があるとされています。
きれいな砂浜です。
この近くに、バーベキュー広場がありました。

 菊池神社
所在地:福岡市城南区七隈7-10-1 
 元寇後の鎌倉時代、鎌倉幕府討幕運動と後醍醐天皇を拝する気運が高まっていました。元弘3年(1333)3月13日、天皇方の菊池武時は、倒幕のため鎮西探題を攻撃しましたが、味方の裏切りに遭い百余騎すべて討死しました。
 この戦いで、菊池方の多くが犬射馬場(現在のJR博多駅あたり)で晒し首になりましたが、武時の首は馬場頭(現在の六本松)に葬られ、その場所が首塚、菊池霊社となりました。
福岡市城南区の菊池神社は、肥後国の豪族・菊池武時公をお祀りする神社です。
境内には、巨木が立ち並ぶさわやかな雰囲気で、本殿の裏にある武時公の胴塚が見所となっています。
菊池武時の首塚です。

 菊池霊社
 元弘3年(1333)3月13日、天皇方の菊池武時は、倒幕のため鎮西探題を攻撃しましたが、味方の裏切りに遭いすべて討死しました。
 この戦いで、菊池方の多くが晒し首になりましたが、武時の首は馬場頭(現在の六本松)に葬られ、その場所が首塚、菊池霊社となりました。胴体葬られたのが、この菊池霊社がある場所です。菊池武時が祀られています。
ブランコなどの遊具が設置され、子どもを連れた親子が遊んでいます。
菊池武時を祀る碑があります。

 多々良浜古戦場
 建武3年3月2日、北畠親房、新田義貞らの軍に破れて九州に逃れていた足利尊氏が、筑前国の多々良川の河口で、後醍醐天皇方である肥後の菊池武敏の軍と激突しました。
 激しい戦いの末に足利軍が菊池軍を破りました。
 足利尊氏は少弐頼尚や宗像大宮司の軍を味方につけて、多々良川の北側に布陣しました。南側に布陣する菊池勢は、阿蘇氏ほか九州の保守派を率い、数の上では足利勢を圧倒していました。
 しかし、当日は北からの風が強く吹き荒れ、この風を味方にした足利勢が数的劣勢をものともせずに奮闘します。この戦闘の最中に菊池勢の松浦氏などが足利勢に寝返り、菊池勢は総崩れとなりました。
 こうして、九州での勢力図は一日にして塗り替えられることとなりました。 
「流通センター西口」には「兜塚由来記」の碑があります。
碑文によると、この地は古来「花園の森」という優雅な名前で呼ばれていたそうで、多々良浜合戦の犠牲者数千の鎮魂のためにいつの頃からか「兜塚」が建てられました。
 福岡市東区の流通センターの一角、日本通運のある三叉路の角です。
 このあたりが、およそ680年前に足利軍と菊池軍が激突した多々良浜の戦いの古戦場です。多々良浜古戦場の碑建てられています。

 陣の越
多々良川の右岸には「陣の越」と呼ばれる小高い丘があり、ここに足利尊氏の本陣があったとされています。 
 福岡市内から、志賀島へ来ました。

 蒙古塚
所在地:福岡市東区志賀島
蒙古塚は、文永・弘安の役で戦死した蒙古兵士の供養のために建てられたものです。
昭和2年に建設された石碑で、裏には7基の板碑があります。

 金印公園
所在地:福岡市東区志賀島字古戸1865
 国宝にも指定された国宝の金印「漢委奴国王」が発見された地が、現在公園となっています。
金印広場には、金印碑、四阿が建てられています。 
金印公園から見た、玄界灘です。海がきれいです。

 これで観光を終了し、福岡空港へ向かいました。

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