平成27年6月 熊本県への旅一日目

 6月末、熊本県へ来ました。熊本空港からレンタカーを借り、熊本県内を廻りました。
 お天気は雨です。

 肥後・竹崎城
 県道312号線沿いに道標があり、九州自動車道を横断して進んで行くと城跡まで車で行くことができます。
 竹崎城跡は、九州自動車道の東側の山にあり、主郭跡とされる山頂部に石碑が建てられています。
 築城年代は定かではありませんが、元寇のおりに活躍した竹崎李長の居城とされています。
 竹崎李長は、阿蘇大宮司宇治氏の一族とも菊地氏の一族といいわれ、元寇では敵船に乗り込んで首級をあげるなど活躍しました。
 文永・弘安の役の元寇における自身の戦いを描かせた「蒙古襲来絵詞」で有名です。

 竹崎季長の碑
 熊本県宇城市松橋町の集落のなかのお寺に、竹崎季長の碑が建っていました。この地域の出身ということで、顕彰されていました。

 海東阿蘇神社
所在地:熊本県宇城市小川町西海東1294
宇城市にある、海東阿蘇神社に来ました。
海東阿蘇神社は、1289年(正応2年)、元寇で活躍した海東郷の地頭・竹崎季長により、阿蘇神社の祭神十二柱を勧請し、天下泰平・国家安全を祈願して創建されました。

 塔福寺
所在地:熊本県宇城市小川町東海東45
 塔福寺は、熊本県宇城市小川町東海東に所在する真宗大谷派の寺院です。
 1293年(永仁元年)、元寇で活躍した海東郷の地頭・竹崎季長の菩提寺として建立されました。はじめ、天台宗の寺院でした。
 キリシタン大名小西行長のキリスト教布教のもと、寺院の焼打ちになどによって廃寺同様となり、1590年頃(天正末年頃)には、わずかに観音堂一宇を残すだけとなっていました。
 1702年(元禄15年)、延寿寺の僧・知栄が真宗大谷派に改め再興しました。寺には、竹崎季長関係の文化財が残されています。。

 竹崎季長の墓(平原公園)
 竹崎季長が眠る墓と伝えられているものが海東の平原にあります。
 
 墓の周辺は現在「平原公園」として整備され、季長の武勲を讃えた東郷平八郎の書による「弓せんのみちすすむをもてしょうとす」という言葉が刻まれた記念碑が建っています。
 記念碑に登る階段の左側の小道をしばらく歩いた先に、竹崎季長の墓があります。

 小木阿蘇神社
所在地:熊本市南区城南町塚原997 
小木阿蘇神社(おぎあそじんじゃ)は、熊本県熊本市南区城南町に鎮座する神社です。
 小木阿蘇神社は、1339年(延元4年)、肥後国守護菊池武光により勧請という説と、1340年(興国元年)に菊池武光の子武政が勧請したという説があります。菊池家代々の篤い崇拝を受けました。
豊田庄の鎮守として氏子の崇敬を集め、広大な社領50町歩を有しました。1868年(明治元年)に小木阿蘇神社と改称、1882年(明治15年)、郷社に列しました。

 塚原古墳群
所在地: 熊本県熊本市南区城南町塚原
 塚原古墳群は、昭和47年(1977)、九州縦貫自動車道建設に伴う調査により発掘されました。
 県民上げての保存運動の結果、遺跡の下をトンネルで通る、という全国で初めての方法で残されました。
 現在、77基の復元された古墳や、季節の花が咲くきれいな古墳公園に整備されています。
 前方後円墳や方形周溝墓、円墳などの総数は約500基と推定されます。
 熊本県内にも、古代に、大きな勢力があった証拠です。
 かなり雨が降っていました。雨が降っていなければ、ゆっくり見学したのですが。
 古墳群に併設されている博物館を見学しました。

 西征将軍宮
所在地:宇土市走潟 
征西将軍宮は、宇土市走潟にあります。
特に、説明案内も無く、懐良親王との関係は不明です。

雨の降りも激しくなってきたので、観光を切り上げ、ホテルへと向かいました。
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