平成23年 6月
 新海三社神社は、佐久市の龍岡城跡の少し先にあります。距離が近いです。
 
 新海三社神社(しんかいさんしゃじんじゃ)
所在地:長野県佐久市臼田町宮の沢
 古くから佐久3庄36郷の総社といわれ、また武神として崇敬あつく、源頼朝による社殿修理再興の口碑、武田信玄の戦勝祈願の願文も残されています。
 境内にある三重塔及び東本社は、ともに室町時代の建築で、国の重要文化財に指定されています。
 新海三社神社は、佐久地方開拓の祖神「興波岐命(おきはぎのみこと)」を主神とし、その父神「建御名方命(たけみなか たのかみ)」と伯父神「事代主命(ことしろぬしのみこと)」の三神を祀ることから新海三社神社と呼ばれています。
 古来、武将をはじめ人々の崇敬あつく、源氏、足利氏、田口氏、武田氏、徳川氏、大給氏らが社領寄進・神殿修理再建等を沙汰しています。
 源頼朝は源氏の祖神「誉田別命」をまつるべく沙汰しました。
 甲斐源氏の流れをくむ武田信玄は、永禄8(1565)年上州箕輪城攻略の際、戦勝祈願文を奉り、見事勝利をおさめています。
西本社・中本社
 真っ白なボタンの花が咲いていました。
東本社(重要文化財・室町時代)
 御祭神は建御名方名の御子「興波伎命(おきはぎのみこと)」です。興波伎命は佐久地方開拓の祖神として崇敬され、万事、万物の新生、形成、発展、探究にあらたかな御神徳をそなえられています。
新海神社三重塔(重要文化財)
 こけら葺き、高さ18.9mの三重塔です。
 新海三社神社の神宮寺の塔として建立され、明治維新の廃仏毀釈の際には神社の宝庫として破却をまぬがれました。
 風澤の銘により永正12(1515)年の建立と考えられます。


 様式は和様を主としながらも随所に禅宗様が取り入れられており、初重と二、三重の垂木の方向の違いなどにそれがみられます。
 

 塔は、高欄のない縁をめぐらし、中央間桟唐戸、脇間板張り、中備えは三間とも束のない間斗を持っています。
神楽殿

旧三笠ホテル真楽寺龍岡城跡→新海三社神社