平成22年1月30日

 山中城跡

 山中城は、静岡県三島市山中新田、田方郡函南町城山にまたがる戦国期の城です。
 戦国大名後北条氏の西の守りの城として築かれますが、創築年は不詳です。

 城は箱根外輪山の西側斜面、標高580mの地点に築かれ、本丸、北の丸、無名曲輪、西の丸、岱崎出丸、北条丸(二の丸)などを配し、25万平方mに及ぶ広大な山城であす。

 豊臣秀吉との対決を意識し始めた1587年(天正15年)大掛りな普請が行われました。
 1590年秀吉の大軍がこの城を攻め、城将松田康長が討ち死にして落城し廃城となりました。

 1973年(昭和48)から発掘調査が行われ、後北条氏築城法の特色である障子堀(堀底に畝を設ける)が掘り出されたほか、土塁、土橋などもよく残り、城址公園としての整備が進んでいます。

三の丸堀
三の丸の曲輪の西側に位置しています。
暖かな日差しの中、歩いていきます。
田尻の池
馬の飲料水用に用いられたとのこと。
畝堀が見えてきました。
西の丸
3400平方mの広大な面積を持ち、山中城の西方の防御拠点でした。
障子堀
障子堀とは、堀の中に断面が四角形や長方形の堀を掘り、敵の侵入を妨げるものです。
西櫓から見た、西の丸
西櫓から、雄大な富士山がよく見えました。
史蹟 山中城址の碑
障子堀
土の芸術ですね。
また、春以降に、障子堀に草が生え、青々とした頃に訪れたいものです。
富士山は、きれいな円錐形で形がよいです。

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