平成22年1月30日 静岡県の旅

 駿府城
駿府城は、静岡市葵区城内町にある室町期から江戸期の城です。

駿河の守護今川氏が守護所を置いた所で、中世では府中城、府中館あるいは今川館などとも呼ばれました。

今川氏の駿府進出については、初代範国の時(南北朝争乱期)に館を築いていたのか、4代範政のとき(南北朝合一後)に初めて駿府に進出したのかについて意見が分かれています。

府中城は、1568年(永禄11)10代氏真のときに武田信玄に攻められて消失します。

徳川家康は、1582年(天正10)武田氏を追い出し、本拠を浜松から駿府移し、1585年から1589年まで大規模な築城工事が行います。

しかし、完成の翌年1590年、徳川家康は江戸に転封され、そのあと中村一氏が入り、関ヶ原の戦い後、内藤信成が駿府城に入りました。
家康は将軍職を秀忠に譲ったあと、再びこの城に入り、1607年(慶長12)から1616年(元和2)に死ぬまでの10年間隠居城としました。この10年間は大御所時代と呼ばれます。

のち徳川頼宣や徳川忠長などが入りましたが、やがて駿府城代が置かれ幕府の直轄領となりました。
お堀端に,ヤジさんキタさんの銅像があります。
躍動感があり,リアルな造りの銅像です。
天下の名城だけあり,立派な堀です。
駿府城は,駿府公園内に入るのは無料です。
徳川家康銅像
駿府城の中心部にあります。
右手に鷹を載せた姿勢で立ち,立派ですね。   
静岡県庁でしょうか。駿府公園内から大きなビルが見えます。

 三保の松原

三保の松原は、静岡県静岡市清水区の三保半島にある景勝地です。平安時代から親しまれてきました。      
三保半島は、安倍川から海へと流された土砂が太平洋の荒波に運ばれ、日本平を削りながら出来た砂嘴(さし)です。
 何百年にわたり流された土砂が静岡海岸、さらには清水海岸に幅百メートルを超える砂浜を作り、現在の清水港を囲む三保半島、および三保の松原の砂浜を形成しました。
 総延長7km、5万4千本の松林が生い茂る海浜と、駿河湾を挟んで望む富士山や伊豆半島の美しい眺めで有名です。
 日本三大松原のひとつとされ,日本の白砂青松100選にも指定されています。  
 羽衣伝説の舞台でもあり、浜には天女が舞い降りて羽衣をかけたとされる羽衣の松と呼ばれる樹齢650年の老松があり、付近の御穂神社(みほじんじゃ)には、羽衣の切れ端が保存されています。
 対岸の伊豆半島が海の向こうに見えます。
 暮れなずむ富士山がよく見えました。
 望遠で大きくしてみました。
 今日は暖かかったからか,夕暮れ時でも,観光客は多かったです。
 きれいな松林です。
これで本日の予定を終了し,清水ICから東名自動車道に乗り,関東へ帰りました。
 
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