平成23年12月 大分県臼杵市
 この日は朝6時、朝も夜が明けない真っ暗な内に大分市内のホテルを出発しました。この季節の夜明けは、午前7時ごろです。
 明るくなったきた頃、大分県臼杵市の国宝 臼杵石仏(磨崖仏)の駐車場に着きました。
 車を停め、歩いて行きます。この日の臼杵石仏の観光客、一番乗りです。

 国宝 臼杵石仏(磨崖仏)
 臼杵石仏(磨崖仏)は、大分県臼杵市深田にある4群60余体の石仏群です。
 1952年(昭和27年)、国の特別史跡に指定され、1995年(平成7年)には国宝に指定されました(指定対象は59躯)。磨崖仏としては日本最初、彫刻としては九州初の国宝指定です。
 石仏造営の時期や事情を証する史料は一切残っていないということです。不思議です。
 仏像の様式などから大部分は平安時代後期、一部は鎌倉時代の作と推定されています。
 山岳仏教の衰退と共に忘れ去られてしまった磨崖仏は1千年の風雨に曝され続けました。元々阿蘇山からの火砕流が溶結した凝灰岩に掘られた石仏は脆く、また参拝者によって自然にできた道が大雨の際は川に変わり石仏を削り取られました。現在、多くの石仏の下半身が切り取られたように無くなっているのはそのためです。
 拝観料は、大人(高校生以上)530円を受付のおばあちゃんに支払い、入場します。
最初に出迎えてくださるのがホキ石仏群です。
ホキ石仏 第一群第二龕
「九品の阿弥陀」

比較的小さな仏像が彫られています。
不思議なんですが、どの仏様も腰から下が削り取られたようになっています。
ホキ石仏 第一群第一龕
阿弥陀三尊像が掘りこまれています。
豊かな頬で、堂々とした躯体です。威厳があります。
阿弥陀如来を中尊とし、左脇侍の観音菩薩と、右脇侍の勢至菩薩を配する三尊形式です。
ホキ石仏群のお堂前には、たくさんの五輪塔・宝篋印塔が並んでいます。

大昔はここにお寺と墓地があったのですね。
ホキ石仏 第一群第二龕
阿弥陀如来坐像、薬師如来坐像、如来坐像

こんなに石仏があるとは驚きです。
関東には石仏(磨崖仏)は少ないです。
ホキ石仏 第一群第三龕
第大日如来像、伝釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像、伝観音菩薩立像、伝勢至菩薩立像
ホキ石仏 第一群第四龕
地蔵菩薩半跏像並びに十王像の11体です。

仏教文化は、大陸・朝鮮半島と大分県へ伝わりました。
 山王山石仏覆い堂
山王山石仏
中尊は、なかなかユニークな表情の丈六釈迦如来坐像です。
こんな山に囲まれた谷の両側に岩窟が配置されています。
ホキ石仏群の建屋です。
古園石仏(ふるぞのせきぶつ)群
<以下、国宝 臼杵石仏(磨崖仏)の公式ホームページ説明文からからの引用です>
URL:http://sekibutsu.com/index.php

〜〜〜 古園石仏は、大日如来像を中心とする曼荼羅を構成し整然とした陣容をそなえる、臼杵石仏の中心的存在。通称古園十三仏とも、大日山石仏とも言われています。
特に中尊の大日如来は日本の石仏の中でも最高傑作の一つといえます。

− 高く秀でた眉、切れ長の伏し目に端正な顔、ほのかに紅を刷いた唇にあたたかい御心が通う。−
 きわめて端厳な相好ですが、ゆたかな両頬や、ややとがった二十頤、切れ長の伏し目など幽玄で神秘的な雰囲気がただよいます。
制作年代は、平安後期を下らないと言われています。崩壊破損が甚だしかったのですが、修復工事(S33〜)により平成5年8月25日には中尊大日如来の仏頭が復位され、昔日の荘厳な姿に復旧しました。 〜〜〜
大日如来様を中心に、左右に、如来、菩薩、明王、天の仏様達が並んでいます。

この大日如来さんがよく、臼杵石仏(磨崖仏)の宣伝・コマーシャルに使用されています。臼杵石仏を代表する石仏です。
ここは、すごいです。しばらく、ほれぼれと見とれてしまいました。

大日如来さん、宝冠は少ししか無くなり、手の印は削れてしまい、法界定印か智拳印か、分からなくなっていますが、いいお顔をされています。美術的に優れています。
私はもしかして、これは、キリストと十二使徒をモチーフとして真似ているのではと思いました。単なる素人の考えですが。
古園石仏群がある丘陵です。

古園石仏は、一度下山しようと思ったのですが、もう一度見学に行ってしまいました。

これで、臼杵石仏(磨崖仏)の見学を終り、臼杵市内へ行きました。
吉祥寺跡、高崎山城跡 → 遊歩公園、府内城跡 → 
臼杵石仏 → 高瀬石仏、霊山寺、伐株山城、元町石仏、岩屋寺石仏など
宇佐神宮 → 真木大堂、熊野磨崖仏、富貴寺、川中不動、両子寺、豊後安国寺など