平成23年12月 大分県への旅

宇佐市内から、国東半島へ来ました。
  真木大堂(まきおおどう)
所在地:大分県豊後高田市田染
 真木大堂は仁聞菩薩によって養老年間(717〜23)の開基といわれています。
 六郷満山中山本寺のひとつで伝乗寺といっていたようです。36坊の霊場を有した国東最大の寺院でしたが、約700年前に火災のため焼失しました。
 焼失したため、詳細な史料は残されていません。
    現在は江戸時代に再建された小さな大堂と収納庫が建っているのみですが、収納庫には藤原時代の重要文化財の九体の仏像が安置されています。
国東市の観光ポスターです。
素敵な仏様達がいらっしゃいました。

 熊野磨崖仏
所在地:大分県豊後高田市田染平野
熊野磨崖仏は、大分県豊後高田市にある平安時代後期の磨崖仏で、国の重要文化財及び史跡に指定されています。
鬼が一夜で築いたと伝えられる乱積みの石段。
かなりきついです。
ここまで登るのに、私は、約10分ほどかかりました。
岩壁に刻まれた2体の巨大な磨崖仏が現れます。
不動明王像
向かって左、高さ約8mのの不動明王半身像。
風化が進行しているため、口元に柔和な笑みを浮かべているようにも見えます。なかなかユーモラスです。
大日如来像
向かって右、高さ約6.7mの大日如来半身像。
羅髪等の造形的特徴から、不動明王像よりも制作年代が下ると推定されています。こちらの仏様は厳かな雰囲気です。

 元宮磨崖仏(もとみやまがいぶつ)
元宮磨崖仏は、大分県豊後高田市にある室町時代の磨崖仏です。
近隣の熊野磨崖仏、鍋山磨崖仏とともに「熊野磨崖仏附元宮磨崖仏及び鍋山磨崖仏」として国の史跡に指定されています。
田染八幡神社の北側の岩壁に抉られた龕に、不動明王を中心として、右に矜羯羅童子、毘沙門天、左に持国天、地蔵菩薩の5体の像が東面して薄肉彫りで刻まれています。
2001年に磨崖仏を覆う堂が設置されています。

 富貴寺
所在地:大分県豊後高田市田染蕗2395
富貴寺は、六郷満山本山末寺の1つで、蕗の里の梅林につつまれた天台宗の古刹です。
富貴寺、観光バスのツアーにも組み込まれ、観光バスが乗り付けてきます。
急な石段を登っていきます。
大堂(国宝)
境内の大堂は藤原期の阿弥陀堂建築としては、宇治平等院鳳凰堂 、中尊寺金色堂と並び称されています。
現存する九州最古の木造建築物としても知られ、国宝に指定されています。
屋根は宝形造、瓦葺きです。
堂は正面柱間が3間、側面が4間で、正面幅よりも奥行が長く、堂内後方に仏壇を置いて、その前方に礼拝のための空間を広く取っています。

境内に落ちたイチョウの葉と大堂の形がきれいでした。

 川中不動(天念寺)
所在地:大分県豊後高田市長岩屋
天念寺の前の小川の大きな石に不動明王像(像高3.70m)、矜羯羅童子立像、制叱迦童子立像が刻ま れています。大分県史跡に指定されています。
水害を除く祈りがこめられているそうです。

 両子寺(ふたごじ)
所在地:大分県国東市安岐町両子1548
 国東半島の中心に位置する両子寺は、国東半島文化(六郷満山文化)の中心地として栄え てきました。
月曜日ということもあり、観光客はいないです。
少しさびしいです。

両子寺は紅葉が見事なようですが、すでに終わっていました。
山門の石像仁王は、国東半島屈指の造形美を誇り、両子寺のシンボル的存在となっています。
護摩堂
書院・客殿。土産物を売っていました。
国東塔
国東半島を中心に分布する宝塔の一種です。
奥の院
建物は、弘化3年(1846)旧杵築藩主松平候の寄進によるものです。

 豊後安国寺
国東市国東町安国寺山中
安国寺は、大分県国東市国東町にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は太陽山です。
足利尊氏が後醍醐天皇をはじめとする南朝の戦没者の菩提を弔うために日本全国68か所に建てた安国寺のひとつで、応永元年(1394年)にその最後(68番目)の寺として建立されました。
足利尊氏坐像が安国寺に所蔵されています。
庭園がきれいでした。紅葉が色づいていました。
枯山水の庭園です。
黒猫がいました。
人なつっこいネコでした。
訪れた際、安国寺の屋根は、修復工事中の真っ最中でした。

 安国寺集落遺跡(国指定史跡)
安国寺集落遺跡(あんこくじしゅうらくいせき、安国寺遺跡とも)は、弥生時代から古墳時代初期にかけての集落遺跡です。
低湿地帯にあるために遺物の保存状態がよく、鍬、田下駄等の木製農具や建築部材、柱穴等の遺構、植物の種子等が良好な状態で出土しています。
1949年(昭和24年)から1952年(昭和27年)に行われた初めての発掘調査では、炭化米が出土したことで九州における稲作を裏付ける遺跡として脚光を浴び、西の登呂とも呼ばれています。

 泉福寺
所在地:大分県国東市国東町横手
泉福寺は、曹洞宗の寺院です。山号は妙徳山。境内は大分県指定史跡です。
泉福寺は、永和元年(1375年)に、大友氏の一族の田原氏能が、母の発願によって無著妙融禅師を開山として創建したと伝えられます。
天正9年(1581年)にはキリシタン大名である大友宗麟による焼き討ちに遭い、開山堂、仏殿(大雄殿)のみを残して講堂等を焼失しました。
 その後、慶長10年(1605年)に当時中津藩主であった細川忠興によって再興され、江戸時代には九州曹洞宗の総本山として栄えました。
仏殿
大永4年(1524年)建立。九州では希な室町時代後期の禅宗様仏殿で、大雄殿とも呼ばれます。
開山堂
現存する建物は寛永13年(1636年)に古材を用いて再建されたものです。
後ろから見た仏殿です。茅葺の屋根が、大きいです。
本堂

 照恩寺
照恩寺は、国重文の国東塔で有名です。
銘文によれば、塔は納経のため正和五年(1316)正月下旬に建てられたものだそうです。
照恩寺宝塔(国東塔) 国重要文化財
この国東塔は椿八幡宮にあったものですが、明治初年の神仏分離による排仏毀釈の際に倒されて放置されていたものを、明治22年10月照恩寺の請いにより現在地に移したものといわれていいます。
最下部の石壇を除いた宝塔の総高は252cm石材は角閃安山岩で、塔身は優美な茶つぼ型です。

これで、3日間の大分県内の観光を終え、大分空港へ向かい帰路に着きました。
吉祥寺跡、高崎山城跡 → 遊歩公園、府内城跡 → 
臼杵石仏 → 高瀬石仏、霊山寺、伐株山城、元町石仏、岩屋寺石仏など
宇佐神宮 → 真木大堂、熊野磨崖仏、富貴寺、川中不動、両子寺、豊後安国寺など