平成20年12月

西国第十五番  新那智山 観音寺



通 称 今熊野観音寺
開 基 弘法大師
本 尊 十一面観世音菩薩
宗 派 真言宗泉涌寺派
住 所 京都市東山区泉涌寺山内町32
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弘仁年間(825年頃)、弘法大師が熊野権現の化身から観音霊地の霊示を受け、嵯峨天皇の勅願により観音像を刻んで本尊とし草堂に安置したのが開創です。

後白河法皇は本尊を深く信仰し、霊験により持病の頭痛が平癒したので、本寺に「新那智山・今熊野」の名称を与えられました。

現在、観音寺は泉涌寺の塔頭ですが、応仁の乱以前は泉涌寺をしのぐ大寺だったといいます。
泉涌寺への道から、左手に曲がります。
坂を下っていきます。
朱塗りの鳥居橋と、今熊野観音寺』と刻まれた石柱があります。
子まもり大師像でいらっしゃいます。
本堂
本堂は二重屋根の堂々とした造りであり、かつての大寺の雰囲気を漂わせています。
御本尊は、弘法大師が熊野権現より授かった一寸八分の観音像を体内仏とし、自ら彫刻された十一面観世音菩薩です。
 本堂から多宝塔への山道脇には、西国の写し本尊が祀られています。
西国第二十番 善峯寺の千手観世音菩薩
多宝塔 「医聖堂」
 この塔はと呼ばれ、日本の医学の発展に貢献した人々を祀っており、奈良・平安時代から江戸時代までの122人の医家の氏名が刻まれた碑が塔の傍に建てられています。

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